行方不明になったお婆ちゃんの捜索
大学を卒業して地元に帰ったら、消防団に入れられた。
俺は妙なところで引きが強いようで、行方不明者の捜索に出ると、死体の第一発見者になった事が既に二度もある。(一人は水死体、一人は首吊り)
火災現場でも、煙に巻かれて亡くなった子供とお婆ちゃんを発見したり。
学生時代にも、後輩がアパートのベランダで首を吊っているのを第一発見した。
首吊りの遺体を人生で二度も見る事なんてあるだろうか。
そんな俺が消防団で体験した、少し謎めいた話。
おばあちゃんを捜しています
その日は朝早くから、行方不明となっていたお婆さん(70歳くらい)の捜索が行われた。
居なくなったのは、前日の早朝。
同じ敷地内に住む長男家族がお婆さん宅を訪れた時、朝食のご飯が炊かれた状態で炊飯器の中にあり、味噌汁もまだ温かいままだった。
「近所の商店まで買い物に行ったのだろう」
そう考え、その時は特に気に留めなかった。
しかし、午後になっても家に帰って来る様子はなく、お婆さんの家の朝食も食べられずにそのままだった。
夜になっても帰って来ないので、慌てて警察に連絡したそうだ。
その日の夜は消防と警察で夜間捜索が行われたが、お婆さんを発見出来ず、翌朝になって俺達地元の消防団、総勢120名を動員しての一斉捜索が行われる事になった。
家族の談では、お婆さんは足が弱く病院に通っていた。
いつも押し車のような歩行器を使って歩いている。
だからそれほど遠くまで歩いて行けない。
日頃はせいぜい近所の小店に行く程度。
家には歩行器は無く、外出用の靴が一足無くなっていた。
着ていた服は、普段よく着ているシャツにズボンだろう、という。
それほど遠くに行けないはずなので、事故にせよ、自殺にせよ、すぐ見つかるだろうと思っていた。
が、4時間捜しても手掛かり無し。
地元は結構な田舎で、山の中とか海辺とか、お婆さん宅の周辺を道無き道まで捜索した。
徒歩で出掛けていない可能性も考え、地元のタクシー会社や交通機関の全てに連絡したが、それらしい情報は無かった。
交通事故に遭い、加害者が死体を隠したのか?
そういった可能性も高くなったが、警察が何処を捜しても事故の痕跡は無い様だった。
結局、2日間に渡って行われた捜索で、お婆さんを発見する事は出来なかった。
それから1年と少し経ち、その件も忘れかけた頃だった。
警察が作った顔写真入りの捜索願の張り紙も随分と色あせ、お婆さんのお孫さんが手書きしたものをコピーしたと思われる『おばあちゃんを捜しています』の張り紙も、文字が読めないほどになっていた。
そんな頃、警察にお婆さんの目撃情報が大量に寄せられた。
「背格好も顔も服装も、歩行器を押して歩いている姿も、行方不明になっているお婆さんに違いない」という電話が。
ところが、目撃情報が寄せられる場所がバラバラで、お婆さん宅の周辺から十数キロ離れた場所まで広がっていた。
警察も情報に基づいて捜索を再開したが、発見に至らなかった。
ただ一つ共通していたのは、その目撃現場の近くには、必ずお孫さんが書いた張り紙が掲示してあったという事。
そして、その手書きの張り紙全ての一番下、空白の箇所に鉛筆で一言『おります』と書き足してあったという事。
未だにお婆さんは見つかっていないが、家族も警察も既に諦めている様子。
ちなみに、その『おります』という書き足しは、鍵の掛かるガラスタイプの掲示板に張られた紙にも書き込まれていた。
『おります』の意味は、きっとお婆さんがお孫さんに対して「いつも傍に居て見守ってるよ」と言っているんだと勝手に解釈しています。
(終)