見えない住人の痕跡
これは、とあるマンションの住民から聞いた話。
冬場、寝る前に窓を軽く拭いておこうと、カーテンを開けた。
中で暖房器具を使っていると、結露が酷かったのだという。
特に鍋などをした時には結構な水が窓に発生していたので、そんな日は拭き取っていたのだそうだ。
雑巾を片手に窓と向き合い、ギョッとする。
ちょうど肩くらいの高さに『手形』が押されていた。
押されたばかりのようで、まだ形も崩れておらず、くっきりと浮かんだ五指の跡から水が糸を引いて垂れている。
そこの家には幼い娘がいたが、手形は娘のものより随分と大きく、かといって大人の自分たちに比べれば小さいものだった。
見なかったことにして、サッと拭って消したそうだ。
もう少し詳しく話を聞いてみると…。
「実は、その後も時々見るようになったの。夏場は結露しないから気づかなかったのかな。何か居るのかしら?窓とかの戸締まり確認は本当に欠かせないよ」
「戸締まり?」
「そ。幽霊でも何でも、入ってくると思うと嫌じゃない」
「ふむ。でも意味ないんじゃないかな。いや泥棒には有効だろうけど」
「何で?」
「だって、手形から水が垂れてたってことは、窓の内側から押されたってことでしょ?入ってくるも何も、もう中に居着いちゃってるんじゃないの?」
彼女は目を剥いて絶句していた。
話は変わって、同じマンションの他の住民からもこんな話を聞いた。
夜中に寝ていると、突然「ボコッ!」という音で目を覚まされた。
窓のすぐ外から聞こえたが…泥棒か!?
ゴルフクラブを手に、恐る恐るベランダを覗いてみた。
誰も居ない。
他にも変わった様子はない。
しかしどうにも不安だったので、クラブを横に置いて寝たのだという。
翌朝、洗濯物を干しに出た奥さんが、慌て声で彼を呼んだ。
そこのマンションは、ベランダの隣家との境に強化ボードが張られている。
火事の時などにブチ破って逃げ出せるよう、そんな構造になっているのだが…。
そのボードの下から上にかけて、子供のものらしき『足跡』が付いていたのだ。
指の後がくっきり残っているところからすると、裸足で歩いたものだろうか?
一箇所だけ、ボコリと凹んで穴が開きかけている。
まるで途中で足を踏み外したかのように見えた。
昨晩どこかの家の子供が、うちのベランダで垂直に歩いていたのか?
頭を振って馬鹿げた想像を追い払い、管理人に連絡した。
彼の家に子供はいない。
また、ボードのあちら側は現在空き家だ。
そういったことから、悪質なイタズラだと思った。
管理人は腑に落ちないような顔をしながらも、ボードを取り替える段取りをしてくれたという。
間もなくリフォームの業者がやって来て、作業に入った。
空き室の方から交換作業を行ったのだが、交換中もしきりにに首を捻っている。
「何か不審な点でも?」
作業に立ち会っていた彼が尋ねると、こう返された。
「いやね、こちらの部屋ってずっと空いてましたよね?以前の住人が出て行った時に、やはり自分が改修を担当したんですが、壁紙も天井クロスも貼り替えて、クリーニングも終えてるはずなんですけど…。今回入ってみると、誰かが入り込んだ痕跡があるんですよ」
「痕跡というと?」
「床に埃が少し溜まってるんですけどね、その上に幾つも残ってるんですよ、沢山の子供の足跡が。大人のものは一つもないんですが。一応は掃除しときますね」
彼ら夫婦は今もそこで生活している。
夜中に歩く者はあれから出ていないが、どこか落ち着かないのだという。
(終)