偶然と別れが交差した日
これは、僕が中学生の時の話。
ある日に伯父さんの家へ日帰りで遊びに行く約束をしていた。
自宅のある滋賀から伯父さんの家の京都まで。
歩き、バスに乗り、電車に乗り、再びバスに乗り、歩く。
滋賀のバスは1時間に3本、電車は10分おきくらい。
京都のバスも場所が場所なだけに少なくて、1時間に3本だった。
移動時間と待ち時間を考えると、大体2時間30分くらいの距離だったと思う。
そして約束の日。
家を出てバス停に着くと、バスが来ていた。
待ち時間なし。
その時は「ラッキー!」と思っただけだった。
バスを降りて電車のホームに着くと、電車が来ていた。
待ち時間なし。
「おお!またまたラッキー」
そう思った。
そして京都駅を出てバス停に着くと、バスが来ていた。
待ち時間なし。
この時点で、ちょっと不思議な気分になっていた。
これまではどこかで必ず待っていたし、待ち時間が全くないなんて一度もなかったから。
でも、「それも偶然が続いてラッキーなんだな」と思った。
バスから降りてからは歩いて伯父の家に向かったのだが、道中に信号が4つくらいあるにもかかわらず、信号の前に来るとパタっと青に変わる。
ここでもノンストップで伯父の家に向かうことができた。
結局、いつもなら2時間30分かかる距離が1時間30分くらいで済み、1時間ほど短縮できた。
ただ、伯父さんの家に着いて呼び鈴を押しても、伯父さんは出てこない。
前日に電話した時には「おやつを用意して待ってるよ」と言っていたのに。
とりあえず公衆電話まで行き、電話をかけるも出ない。
2時間ほど玄関で待ったが、伯父さんに会うことはできず、家に帰った。
それから2日後、伯父さんの息子さんから電話があった。
伯父さんは2日前に自宅で脳卒中を発症して亡くなっていた、と聞いた。
あの日の偶然はもしかして、「伯父さんは見つけてほしかったのかな?」と今では思っている。
(終)
AIによる概要
この話は、語り手が中学生の頃に経験した、不思議な偶然に満ちた伯父さんとの出来事を伝えています。ある日、滋賀から京都に住む伯父さんの家を訪れる際、通常は必ずどこかで待つはずのバスや電車、信号までがタイミングよくノンストップで進み、通常より1時間も早く到着します。しかし、到着すると伯父さんは出てこず、呼び鈴を押しても反応がありません。その後、伯父さんがその日に自宅で亡くなっていたことを知らされ、語り手は「あの偶然が、もしかすると伯父さんが自分を見つけてほしかったのでは」と感じています。