お前も死ねばいいのにな
これは、もう8年以上前の話になる。
大学進学が決まった高校卒業間近のある日、家の壁に軽く右肩をぶつけただけで激痛が走った。
その後、大学病院で精密検査を受けた結果、骨肉腫という診断が下された。
骨肉腫の治療は、主に手術と、その前後の抗がん剤治療が基本だ。
治療が順調に進んだ場合でも、およそ1年近くの入院が必要とされる。
手術を終え、再び地獄のような抗がん剤治療が始まろうとしていた頃、俺より1つ年下の男子高校生が、同じく骨肉腫で入院してきた。
歳が近く、同じ病気を抱え、しかも個室が隣同士だったことから、俺たちは自然と仲良くなった。
体調が良い時には、部屋で一緒にゲームをしたりもした。(個室で、さらに長期入院の場合は、特別に据え置き型ゲーム機の持ち込みが許可されていた)
幸い俺の骨肉腫は悪性度が低く、比較的早期発見だったため、術後の転移もなく、治療は順調に進んでいた。
一方、隣の男子高校生は日に日に体調が悪化していくようだった。
さらに、彼は抗がん剤の副作用が非常に激しく、投与後数日は1日中吐き続ける声が隣の部屋から聞こえてきた。
数ヶ月が経ち、退院まであと1ヶ月という段階に入ったある夜のこと。
隣の部屋からいつものように吐く音が聞こえていた。
もう何週間も隣の彼とは会話ができていない。
しかし突然、「グゲェ!」という異様な声が聞こえ、それ以降、隣の部屋からの音は一切聞こえなくなった。
嫌な予感を覚えながらも、その夜はそのまま眠りについた。
夜中、外の騒がしさで目を覚ました。
時計を見ると、午前1時45分だった。
廊下を走り回る音や、隣の部屋のドアが何度も開閉される音が聞こえてくる。
只事ではないと感じつつも、何か言い知れぬ恐怖感に襲われ、布団を頭から被って再び眠ろうとした。
翌朝、恐る恐る部屋の外に出てみると、隣の部屋のドアは閉まったままだった。
一見いつもと変わらないように見えたが、その後に警察か検察らしき人々や、泣きじゃくる隣の男子高校生の両親の姿を目にした。
昨夜、隣の部屋で何が起きたのか…。
それを想像するのは難しくなかった。
その後、俺は最後の抗がん剤投与を受けた。
この投与が終われば退院できるという希望を胸に、苦しい吐き気や下痢と戦っていた。
夜中、激しい下痢に襲われトイレに向かった。
時刻は夜中の2時前だっただろうか。
3つある個室のうち、真ん中のドアが閉まっていた。
「こんな夜中に?」と思ったが、この病棟には抗がん剤治療を受けている患者が何人もいる。
きっと俺と同じように下痢になったのだろう、とそのまま手前の個室に入った。
程なくして、隣の個室から吐く音が聞こえてきた。
「やはり抗がん剤治療患者だな」と思ったその時だった。
「グゲェ!」という音が聞こえたかと思うと、個室の壁をガンガンと叩く音が響いた。
突然の出来事に驚いた俺は、「大丈夫ですか?!今、看護師さんを呼びます!」と叫んだ。
すると、個室を隔てる壁の上部から青白い顔がヌッと現れ、こちらを睨んだ。
死人のように青白いその顔は、紛れもなく、少し前まで隣に入院していた男子高校生だった。
彼は俺を見つめながら、こう叫んだ。
「お前も死ねばいいのにな!!」
それから1週間後、俺は無事に退院し、1年遅れで大学に入学した。
幸い再発もなく、現在も健康に過ごせている。
ただ、あの声が、最後のあの声だけが今も耳から離れない。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、生死を分ける病気に直面したときの人間の孤独や苦悩、そしてそれを乗り越えた先に残る心の傷の深さです。語り手は、自身も厳しい治療を受けながら生きることへの希望を失わずに進む一方、隣の患者が病状の悪化や副作用の苦しみで命を落とすという現実に直面します。この出来事を通じて、命の儚さや不公平さ、そして死の恐怖が描かれています。
また、隣人の亡霊が発した「お前も死ねばいいのにな」という言葉は、彼の深い絶望や孤立感の表れであり、同時に語り手の心に消えないトラウマを刻みます。この経験は、病を克服したとしても、生き残った者が背負う心理的な重みや、生と死の狭間で人間が抱える感情の複雑さを物語っています。
話の全体を通じて、「生きる」ということの意味を問い、生き残ることの喜びと同時に、それに伴う苦しみや責任を描いていると言えるでしょう。