山に刻まれた罪と怨念
子供の頃に住んでいた家は、すぐ裏が山だった。
よく一人でその山に入り、探検ごっこをして遊んでいたが、毎年じいちゃんが「今日は山に入るな!」と言う日があった。
その日は、いつもとは違う特別な雰囲気で、じいちゃんは近所の人たちと寺に集まり、御詠歌を唱えていた。※御詠歌(ごえいか)とは、仏教に関する教えや信仰の心を短歌の形式(五七五七七の三十一音)で詠んだもの。
じいちゃんに理由を聞いたが、教えてもらえなかった。
当時の俺は単純だったので、逆にワクワクしてしまい、じいちゃんが寺に行ったのを見計らって山へ入った。
竹藪を越えてしばらく進むと、大きな岩があり、そばに『小さな祠』があった。
普段はひっそりとしたその祠には明かりが灯され、お供え物が置かれていた。
それを眺めていると、背後から女の人の声した。
「あこ…」
驚いて振り返ったが、そこには誰もいなかった。
しかし、「カッカッカッ」と、不気味な音がこちらに近づいてくる。
恐怖に駆られた俺は、叫びながら山を駆け下りた。
泣きながら竹藪を抜け、家に飛び込むと、そこには寺から戻ったじいちゃんがいた。
俺の顔色を見たじいちゃんは、「お前、山に入ったのか!」と、強い口調で叱った。
そのまま寺へ連れて行かれ、住職が俺のためにお経を唱えてくれた。
じいちゃんは「子供やから逃げられたんや」と言ったが、理由を聞いてもやっぱり教えてくれなかった。
そんな出来事も、いつしか夢のようにぼんやりとした記憶になっていた。
しかし、久しぶりに里帰りした時、偶然住職と会い、あの時の話になった。
住職は「因果というもんやな」と呟き、こんな話をしてくれた。
昔、都から逃れてきた高貴な女性が、この地にたどり着いた。
彼女は身ごもっており、村人に助けを求めたが、村人たちは巻き込まれるのを恐れて見捨てた。
それどころか、男たちが彼女をなぶり殺してしまったという。
その後、祠を建てて彼女を祀ったが、長い間、山では不可解な死を遂げる者が相次いだ。
そこで、彼女の命日には山に入らず、寺に籠もるようになったそうだ。
しかし、俺には一つだけ、ずっと心に引っかかっていることがある。
あの時、確かに聞こえた 「あこ」 という声。
調べてみると、「吾子(あこ)」とは 『我が子』 という意味のようだが…。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、過去の因果や人々の行いが、時を経てもなお何らかの形で影響を及ぼし続けるということです。
幼少期の語り手は、理由も知らずに禁忌を破り、得体の知れない恐怖に直面しました。しかし、大人になってから住職の話を聞くことで、その出来事の背景にある悲しい歴史を知ります。かつて無残に命を奪われた女性の怨念や、村人たちが恐れ続けた存在の理由が明らかになったとき、語り手は自身が聞いた「あこ…」という声の意味に思い至ります。それは、母親が我が子を呼ぶ切なる声だったのかもしれません。
この出来事は、ただの怪談ではなく、歴史の中に埋もれた無念の想いや、時を超えてなお消えない過去の重みを感じさせる話です。そして、知ることのなかった出来事が、思いがけない形で自分の人生に関わっていたことを悟る瞬間が、読者に深い余韻を残します。