死人を恐怖で語らないでくれ
これは、先輩が通っていた中学校での話です。
当時の音楽の先生は女性で、昔から“いわく付きのものが見える体質”だったそうです。
初めてそういったものを見たのは、子どもの頃のこと。
かくれんぼの最中、とある山で首吊り死体を見つけてしまったのが最初の体験だったといいます。
友人たちと一緒に、その場に居合わせたそうです。
それ以来、先生は死者にまつわる不思議な体験を重ねるようになりました。
死者が会いに来たり、何の目的かもわからぬまま、じっと見つめられていたり。
あるいはまた、別の死体を発見したり。
そんな体験談を、先生は退職の年の冬頃から、音楽の授業の空き時間に話してくれるようになりました。
音楽室は円形校舎の奥にある建物で、昼間でもどこか重苦しい雰囲気が漂っていました。
そもそも、その円形校舎自体がいわく付きとして知られていたため、先生の語る体験が本当にあった話だと思わせ、生徒たちの間では「マジで怖い」と評判になっていました。
そして迎えた、先生の最後の授業の日。
その授業に出ていた先輩は、先生が最初にこう話し始めたのを覚えているそうです。
「今日は音楽の授業をやめて、少しお話をさせてください」
一部の生徒は「怖い話かな?」と身構えたそうですが、クラスの雰囲気はむしろ軽く、「いいよ〜」「最後だし〜」と承諾の声が上がりました。
ところが、先生は開口一番、それまで怖い話を生徒に語ってきたことを「間違いだった」と謝罪し、涙を流しました。
そして、こう続けました。
「今日は、どうしても伝えたいことがあって話します。今日を最後に、私は自分の体験を他人に話すのをやめます。だから、みんなも面白半分で他人に話したりしないでください」
そう言って、語り始めたのです。
前夜、つまり最後の授業の前の晩、先生のもとに、昔からの友人が現れたといいます。
その友人は、ガキ大将のような、体格がよくて面倒見のいい男の子だったそうです。
彼は、先生の枕元に立ち、こう語りかけてきました。
「明日でもう、話すのは最後にしないか?」
夢か現実かわからぬまま、先生が「どうして?」と尋ねると、彼はこう言ったのです。
「俺、今日死んだんだわ」
さらに、彼は続けました。
「死人になって、わかったことがある。死人のことは、思い出として語るのが一番いい。怖い話のネタにされるのは、正直、すごく嫌な気分になる。だから明日、俺の話をして、それで最後にしてくれ」
そう言い残して、姿を消したといいます。
翌朝、先生は半信半疑のまま、その友人の実家に電話をかけました。
電話口に出たご家族から告げられたのは、昨夜19時頃、友人が事故で亡くなったという知らせでした。
先生はその日、最後の授業で、こんな話を涙ながらに語ったのだそうです。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、亡くなった人たちのことを、単なる「怖いもの」として語るべきではないということです。怖い話として面白がったり、恐怖を煽るために死人の存在を使うのは、亡くなった人たちにとってとても悲しく、嫌なことだというメッセージが込められています。
死者は、恐怖の対象ではなく、生きていた時の思い出や、その人らしい温かさを大切にしながら語るべき存在です。また、死を軽く扱ったり、怖い話のネタにしてしまうことは、故人を尊重していない態度だということも教えようとしています。先生は、自分がこれまで怖い話を面白がって語ってきたことを悔い、最後にそのことを真剣に伝えるために生徒たちの前で涙を流しました。
つまりこの話は、「亡くなった人を敬い、思い出を大切にして生きていくべきだ」という、大切な心構えを静かに教えてくれているのだと思います。