それは鳴きながら確実に近づいてきた
私は昔から結構なビビりで、怖い話なんかは大の苦手。
そのわりには、“嫌な気配”をよく感じる。
まあ、ただの勘違いかもしれないけれど。
当時、私は高校2年だったか。
ベッドは窓際にくっつけて置いていて、そこで寝ていた。
時間は深夜1時から2時頃。
なぜか眠れなくて、ベッドの上で顔を手で覆いながら、なんとか寝ようと格闘していた。
でも、やっぱり眠れない。
どれくらいそうしていたかはわからないけれど、ふと気づくと、窓の外から微かに『犬の鳴き声』がしていた。
本当に微かで、少しでも物音を立てたら確実に聞こえなくなるくらいの音。
たぶん、2軒隣あたりから聞こえていたと思う。
でも、当時このあたりでは犬を飼っている家がなかったので、野良犬かなと思って気にも留めなかった。
それよりも、早く寝たかったから。
また眠ろうと格闘する。
「キャンキャン」
また微かに聞こえた。
しかも、さっきより近づいた気がした。
気味が悪いと思いつつも、眠れないことへの苛立ちが勝っていた私は、気にしないようにしてまた寝ようと頑張った。
「キャンキャン」
このあたりで、なんとなく変な感じがした。
(やっぱり近づいてきている?)
動物だから移動していてもおかしくはない。
でも、何かがおかしかった。
違和感があった。
そう考えていると、また鳴き声が聞こえた。
「キャンキャン」
さらに近づいてきて、ついに違和感の正体に気づいた。
その声が、一定の間隔で聞こえるんだ。
リズムが乱れない。
まるで機械のように、同じテンポで鳴いている。
「キャンキャン」
気づいたときには、隣の家とのちょうど中間あたりで声がしていた。
そしてもうひとつ、別の違和感に気づいた。
(これは、犬じゃない……)
最初は犬の鳴き声だと思っていた。
でも、それは機械的な声だった。
むしろ、犬のおもちゃが鳴いているような、そんな感じ。
この時点で、ゾクッとした。
本当に怖かったのを覚えている。
“それ”は、間違いなく一直線に私のところに向かってきていた。
こんな深夜に。
しかも、このあたりは高齢者か小学校低学年の子供しか住んでいない。
つまり、誰かのいたずらなんかじゃない。
「キャンキャン」
その声は、私のすぐ横に。
つまり、隣接している窓の下からはっきりと聞こえてきた。
一定のリズムを保ちながら、冷たい機械のような声が響いている。
怖くなった私は、布団を深くかぶり、目をきつく閉じた。
(来るな……来るな……来るな……)
「キャンキャン」
耳にこびりつくような機械音が、壁一枚隔てたすぐ横から響いてくる。
ちなみに、私の部屋は2階。
外には階段も、積まれた物もない。
だから、本来なら真横から音がするなんてありえない。
「キャンキャン!キャンキャン!」
今まで移動していた”それ”が、ずっと真横にとどまって、耳障りな声を響かせ続ける。
「キャンキャン!キャンキャン!」
その機械的な犬の声に恐怖で身をすくめながら、目をぎゅっと閉じて耐えていた。
気づいたら、寝ていた。
翌日のことは、正直あまり覚えていない。
ただ、母に話したら笑われただけだった。
あれ以来、あの声は一度も聞いていない。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、「説明のつかない不気味な体験は、たとえ些細なことであっても、人の心に深く残る」ということです。
語り手はもともと怖がりで、怖い話が苦手だと言いながらも、不思議な気配や違和感を敏感に感じ取ってきた人です。今回の体験も、最初はただの犬の鳴き声のように思えたものが、徐々に「何かおかしい」と感じるようになり、やがてそれが機械的で人工的な、不自然な存在であることに気づいていきます。最終的には、その声が自分の真横、本来なら絶対にありえない場所にまで迫ってきて、極限の恐怖を味わいます。
けれど、その「何か」は結局姿を現さず、朝になるとすべては終わっていた。そして周囲には誰も信じてくれる人はいない。だからこそ、この体験は「怖かった」だけでは終わらず、ずっと心の奥にひっかかっている。目に見えないもの、正体が分からないものの恐ろしさ。理屈では説明できない“違和感”が、どれほど人を不安にさせるか。それがこの話の本質です。
つまり、「不可解な恐怖」と「誰にも理解されない孤独」が、この体験をより深く、よりリアルにしているのです。