叩けば転ぶオコロビサンの呪い
俺の家の近所には『オコロビサン』と呼ばれている、地蔵のような不思議な石像がぽつんと建っている場所がある。
地蔵かどうかも定かではないのだが、誰からともなくそう呼ばれていて、子供の間ではちょっとした怪談めいた存在になっていた。
そのオコロビサンには、昔から奇妙な噂があった。
学校からの帰り道などで、ふざけてその頭をコンコンと叩くと、必ずと言っていいほどその後に転ぶ、というのだ。
ただの偶然だと言ってしまえばそれまでなのだが、妙に信憑性があるというか、妙なリアリティを帯びていて、子供たちは怖がりながらも興味を持っていた。
俺も小学生の頃、ある日その噂を確かめてみたくなって、思い切ってオコロビサンの頭を指で軽く叩いてみた。
するとその直後、まるで見えない誰かに背中を思いきり突き飛ばされたかのような感覚がして、バランスを崩して地面に倒れ込んでしまった。
まわりに誰もいなかったから余計に怖くて、ゾッとしたのを今でもよく覚えている。
それからというもの、俺はしばらくの間、オコロビサンの近くを通るときは緊張しながら早足で通り過ぎるようになったし、もちろん頭を叩こうなんて考えもしなかった。
でも、時が経ち、中学生になって少し理屈っぽくなってきた頃には、「あれはたまたまタイミングが重なっただけだったんじゃないか?」と思うようになっていた。
理不尽なことを信じるのは子供っぽい、というような意識もあって、少しばかり無謀な好奇心が芽生え始めていた。
ある日の夕方、自転車に乗って家へ帰る途中、ふとオコロビサンの前を通りかかり、「今また頭を叩いたらどうなるんだろう?」という考えがふと頭をよぎった。
悪いことはやめておこうという理性の声もあったが、それ以上に試してみたいという気持ちが勝ってしまい、ついに再びオコロビサンの頭を、今度はしっかりと手のひらで叩いてしまった。
その数分後、まるで待ち構えていたかのように、自転車の前輪が突然ガクンと大きく揺れて、スポークがぐにゃりと折れ、俺は前につんのめるようにして転倒した。
痛みで一瞬息が止まり、起き上がってみると腕が変な方向に曲がっていて、骨折していた。
結局、病院に運ばれ、しばらくギプス生活を送る羽目になった。
それ以来、オコロビサンの頭には二度と触れないと心に誓った。
大人になった今でも、その誓いは守っている。
とはいえ、ふと車を運転しているときなどに、「もし今、車を止めてオコロビサンの頭を叩いたら、一体どうなるんだろう?」と、そんな考えが頭をよぎることがある。
けれども、過去のあの転倒や骨折の記憶が鮮明によみがえり、結局、俺はいつもアクセルを踏み直して、その場所を通り過ぎるだけ。
叩いてはいけない。
ただ、それだけのことなのだが…。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、「ただの偶然だと理屈で片づけようとしても、実際に体験した不思議な現象には、説明できない怖さや力がある」ということだと思います。
子供の頃に感じた恐怖を、成長するにつれて「気のせいだった」と納得しようとするけれど、再び試してみた結果、今度は大怪我をするという現実を突きつけられる。その体験が、たとえ大人になった今でも心のどこかに残り続け、理屈では説明できない「何か」への畏れを抱かせているのです。
つまり、「見えない力や言い伝えを、軽く考えてはいけない」という警鐘のようなメッセージが、この話には込められているように感じます。