表紙にだけ存在した写真

心霊写真などという現象が取り沙汰されるようになったのは、一体いつ頃からなのでしょうか。
私には知る由もありませんが、少なくとも30年近く昔、私の通っていた小学校では、すでにオカルトブームなるものが存在していました。
生徒たちは花子さんや赤マントの話、こっくりさん遊びなど、様々な噂を聞きつけては、皆それらに興じていました。
私が当時仲良しだったトモコちゃん(仮名)に、心霊写真集なるものを貸してもらったのも、ちょうどその頃です。
苦痛に歪む顔……に見えなくもない壁の染み。
怨念の籠もった女の姿……に見えなくもない焚き火の炎。
そんな写真ばかりで、まだ幼かった私でさえ、少しばかり期待外れで落胆させられる内容だったように思います。
しかし、本を閉じたあとも、私の中には一抹の違和感が残っていました。
その違和感の正体を、私はしばらく考え続けました。
「そうだ。この表紙の写真だ」
その本の表紙には、赤い水着を着た女の子がひとり写っていました。
海水浴に来ているのでしょう。
浜辺を背景に、浮き輪を抱えてにこやかに笑う彼女。
その頭には、包丁のようなものが突き刺さっている……。
そんな写真でした。
この写真自体は、特にインパクトの強いものでもありません。
けれど、表紙を飾っている肝心のこの写真が、本の中には収められていないようなのです。
私はもう一度、最初のページから、その写真を探し始めることにしました。
半分ほど読み進めた頃でしょうか。
私の耳元に、生暖かい感触がありました。
そして、すぐそばで声がしました。
「探すな」
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、「興味本位で、触れてはいけないものを深く追いかけてはいけない」ということだと思います。
語り手は、最初から何か危険なものを求めていたわけではありません。子どもの頃のオカルトブームの中で、友達から借りた心霊写真集を楽しんでいただけです。ところが、本の中身を見終えたあとに「表紙の写真が本文にない」という小さな違和感に気づきます。そして、その理由を知りたいという好奇心から、もう一度その写真を探し始めます。
しかし、その行為に対して返ってきたのが「探すな」という言葉でした。つまりこの話では、単なる好奇心から始まった行動が、知らなくてもよかったもの、見つけてはいけなかったものに近づいてしまう怖さが描かれています。
特に怖いのは、「探すな」と言われた理由が最後まで明確には説明されていないところです。もし写真の正体や、それを探してはいけない理由がすべて明らかになれば、恐怖はそこで完結してしまいます。逆に、何も分からないまま「探すな」とだけ告げられることで、読者は「もし探し続けていたら、一体何が起きていたのだろう」と想像することになります。
そのため、この話の本質は心霊写真そのものではなく、「見てはいけないものを見ようとする好奇心」と、「そこから先には踏み込んではいけない」という境界線の怖さにあると思います。

































