小5から始まった僕の世界
僕には小さい頃、親友がいた。
親友といっても、人間じゃない。
猫だった。
その猫は、普通の猫よりひとまわり大きくて、いつも堤防にある陸橋の下にいた。
僕がそこを通るたび、気づけばいつも同じ場所にいて、気づけば自然と仲良くなっていた。
僕が無邪気にはしゃいでいると、あの猫は目を細めてじっと見守ってくれていた。
友達というより、おばあちゃんと孫のような関係だった気がする。
猫の名前はコハク。
昔、誰かに飼われていたことがあるらしい。
そして僕たちは、なぜか言葉を交わすことができた。
それを不思議だと思ったことは、一度もなかった。
いつもコハクは優しい声で言ってくれた。
「車には気をつけてね」
そんな日々が、半年ほど続いたある日、僕は車にはねられた。
学校からの帰り道だった。
そのときの記憶はまったくないが、全身を強く打っていて、医者は「脳死、もしくは全身麻痺の可能性が高い」と言ったそうだ。
たとえ意識が戻っても、重い後遺症は避けられないだろう、と。
昏睡状態の中で、僕は夢を見ていた。
何もない、20畳ほどの四角い部屋。
ドアも窓もない、灰色の部屋の隅で、僕はただひとり、怯えて震えていた。
でも突然、部屋があたたかなオレンジ色に包まれた。
その光にふわっと包まれると、どこからか声が聞こえた。
「〇〇くん」
僕を呼ぶ声だった。
気づくと、いつの間にか部屋にドアができていた。
ドアを開けて外に出ると、そこはいつもの堤防だった。
だけど音がしなかった。
風も、人の声も、車の音も。
世界が音を失っていた。
家に帰ろうと振り返ると、そこにコハクがいた。
そして、そのまわりにはコハクにそっくりな猫たちが何匹もいた。
猫たちは、無言で道を開けてくれた。
僕は、コハクの方に向かって駆けだした。
「コハク、ありがとう!」
そう叫んだ瞬間、空気が変わった。
気づけば、事故現場にいた。
そこには倒れた僕と、そのすぐそばに立つ真っ黒な大きな影。
その影に向かって、猫たちが牙をむき、「シャーッ!」と威嚇していた。
そのとき、僕は目を覚ました。
病室だった。
だがじっとしていられなくて、点滴を抜いて病院を抜け出し、堤防へ向かった。
僕が気になるのは、事故の影よりもコハクだった。
なんとなく、わかっていた。
もうコハクには会えないかもしれない。
やっぱり、そこにコハクはいなかった。
僕は日が暮れるまで陸橋の下に座り込んで、声を押し殺して泣いた。
そのとき、僕を見つけた警察が病院に連れ戻してくれた。
あの日からずっと、コハクのことは忘れたことがない。
怖い記憶じゃない。
むしろ、僕はコハクに助けられたんだと思っている。
不思議なことに、僕の記憶はその事故以降しかない。
小学5年生からしか、何も覚えていないんだ。
でも、それだけは、ずっと鮮明に覚えている。
僕の小さな親友、コハクとの記憶を。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、「大切な存在は、たとえ姿が見えなくなっても、心の奥に生き続けている」ということです。
コハクという猫は、単なる友達ではなく、語り手を見守り、命さえ救ってくれた存在です。彼が幼い頃に経験した不思議で温かな出来事は、現実の理屈では説明がつかないけれど、確かに心に刻まれています。事故で命の境界に立たされたとき、コハクとその仲間の猫たちは、まるで死の影から彼を守る“存在”として現れ、彼を生きる世界へと導いてくれました。
たとえその後コハクに会えなくなっても、その絆や記憶は語り手の中で生きていて、失われた記憶の代わりに、人生で最も大切な「出会い」として残っています。これは、“目に見えるものだけが真実ではない”という優しいメッセージでもあり、誰かがそっと自分を守ってくれているかもしれない、という希望でもあるのです。
つまりこの話は、別れや喪失を悲しみながらも、その向こうにある「つながり」や「感謝」を信じて生きていく力強さを伝えています。