気づいてはいけない気配
これは、私と会社の先輩・冨岡さんの話。※仮名
当時、私は20代で、冨岡さんは30代。
二人とも独身で一人暮らし。
家も近かったので、よく一緒に飲んでいた。
その日も私の家で飲んだ後、冨岡さんを見送りがてら、一緒に歩いていた。
場所は都内某所の、住宅とビルが混在する地域。
時刻は、おそらく深夜0時頃。
普段は人通りのある道も、その時はひっそりと静まり返っていた。
季節は春から初夏にかけての、ちょうど過ごしやすい時期だったと記憶している。
冨岡さんは歩き、私は自転車を押していた。
何気なく進んでいると、一つの建物が目に留まった。
5~6階建ての白いビル。
その4階の廊下の蛍光灯が、チカチカと点滅していた。
真夜中の人気(ひとけ)のない暗いビルで、そのフロアだけが点滅している。
しかも、単に点滅しているのではなく、左端から右端へと規則的に流れるように光っていた。
まるで道路工事の警告灯のように。
「夜間の点灯試験でもしているのかな?」
そう思い、特に気に留めることもなく歩き続けた。
やがて、薄暗い四つ角に差し掛かった。
一角には、公衆電話ボックスがぼんやりと明かりを灯している。
その前を通りかかった瞬間…。
「リ~~~~~ン!!」
突然、公衆電話が鳴り響いた。
私と冨岡さんは驚いて足を止めた。
「まあ、公衆電話にも番号があるし、間違い電話かな」
そう思った私は、ふざけ半分で受話器を取ろうとした。
すると…。
いつもヘラヘラしている冨岡さんが、やけに真剣な顔で「出るな」と言った。
その瞬間、背筋がゾクリとした。
さっきの蛍光灯の点滅。
真夜中の人気のない道。
不気味な違和感が胸をよぎった。
そのまま私たちは公園の森へと足を踏み入れた。
冨岡さんの家は、その公園を抜けた先にある。
私もその近くに住んでいて、普段から通い慣れた道だった。
昼間でも薄暗いその公園は、真夜中になるとさらに不気味だった。
そして、思い出してしまった。
この公園は「出る」と有名な場所だった。
旧陸軍が捕虜を使って細菌実験を行い、その遺体を公園の山に埋めたという噂。
隣接する旧陸軍施設では、工事中に100体を超える人骨が発見されたともいう。
さっき蛍光灯が点滅していたのは、あの研究施設だったのではないか?
いや、違う。
…でも。
そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡った。
こういう時、人間は立ち止まることができないものだ。
冨岡さんも無口になり、重たい沈黙が続いた。
その時だった。
森の中に、霧が立ち込め始めた。
この公園で霧を見たのは、後にも先にもその時だけ。
歩くほどに霧が濃くなっていく。
「都会の公園で、こんなに霧が出るものか?」
ただならぬ気配に、思わず口を開いた。
「なんか…これ…」
冨岡さんは「ンー」とも「アー」ともつかない声を発した。
視界の悪い森の道を、下りながら進む。
その時…。
「バサーーーッ!!」
目の前を、大きな黒い影が横切った。
霧の中から現れ、霧の中へと消えていく。
私は心臓が止まりそうになった。
正体は、カラスだった。
だが、真夜中にカラスが飛んでいるのは、どう考えてもおかしい。
冨岡さんはポツリと呟いた。
「遊ばれてるな」
「…何に?」
「こういう時は、後ろを振り返っちゃダメだ」
どこかの導師みたいな発言だった。
普段、心霊現象なんて信じない冨岡さんが、そう言うのが妙に引っかかった。
私たちは一言も発さず、ただ前だけを見て歩き続けた。
息苦しく、じっとりと手に汗が滲む。
短いはずの道が、やけに長く感じられた。
やがて、公園を抜けて、公道に出た。
途端に明るくなり、霧もスッと消えた。
その後、冨岡さんとはこの出来事について語り合うことはなかった。
…とまあ、これだけの話で、決定的な何かがあったわけじゃない。
現実なんて、そんなものだ。
でも、もしあの時、電話に出ていたら?
もし、あの時、振り返っていたら?
何かに憑かれたのか、それとも、あの世へ迷い込んでいたのか。
よく考えれば、偶然と自然現象が重なっただけかもしれない。
…でも。
何十年生きてきて、霊的なものを感じたのは、あの時だけ。
もし、あの場に霊感のある人がいたら、何か見えていたのだろうか?
今でも、あの時のことが脳裏に焼き付いて離れない。
(終)
AIによる概要
この話が伝えたいことは、日常の中にふと入り込む「説明のつかない出来事」への畏れや不思議さだと思います。
公衆電話の鳴る音、規則的に点滅する蛍光灯、突然立ち込める霧、真夜中に飛ぶカラス。これらは個別に見れば偶然の積み重ねに過ぎないかもしれません。しかし、それらが一つの流れの中で連続して起こることで、不気味な違和感や異様な気配が生まれます。そうした経験を通して、人は「もし、あの時あの選択をしていたら?」と考え、現実の背後に潜む未知の存在を意識せざるを得なくなります。
また、この話には「恐怖とは、確かなものが見えない時にこそ大きくなる」という心理が色濃く表れています。結局のところ、明確な幽霊や怪異が登場するわけではなく、何か決定的な事件が起こったわけでもありません。それでも、語り手は後になっても「何だったのかわからない」と振り返り、あの夜の出来事が脳裏に焼き付いているのです。この余韻こそが、人が感じる「本当の怖さ」なのかもしれません。
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