テントの間を縫うように歩く足音
これは、親父から聞いた話。
親父は若い頃に本格的な登山をやっていて、冬に上高地へ行った時のこと。
行程の関係で、釜トンネル内で一泊したという。
トンネル内にテントを張り、食事を済ますとみんなさっさと寝てしまった。
どれくらいした頃だろうか、親父は足音で目を覚ました。
ザクザクと、表面の凍った雪を踏みしだくような足音だ。
いくら冬でもトンネル内にまで雪は積もっていない。
しかも、明かりの全くない闇の中を泳ぐように、テントの間を縫うように歩いている。
親父は「これが先輩達から聞いた遭難者の幽霊か・・・」と思ったそうである。
同じテントの者が目を覚ます気配があったが、誰も動かない。
そうこうしているうち、荒い息づかいまで聞こえてきた。
それはいかにも疲労困憊し、寒そうであった。
親父は哀れに思い、持っていたハクキンカイロ(ベンジンを使う旧型カイロ)をそっとテントの外に出した。
効果があったのか、足音はだんだん小さくなり消えてしまった。
翌朝、カイロは置いた場所にあったが、同じテントの人が足音が小さくなる時に「ありがとう」と言う声を聞いたとか。
ただ、親父には聞こえなかったという。
(終)