山の不思議な案内人
山は身近な異界と言うけれど、確かに山登りをしていると、たまに妙な出来事に遭遇する。
「こんにちは」
向こうからやってきた男性は朗らかに挨拶し、笑顔で会釈してきた。
こちらもぺこりと頭を下げる。
「この先に行かれるんですか？」
「その予定です」
「そうですか。この先には扇岩ってのがあって、それを目印にして左に曲がるんですが、その手前によく似た偽扇岩っていうのがあるので間違えないよう気をつけてください」
偽扇岩を目印にして左に曲がると遭難してしまいますよ、と男性はちょっと脅かすように声を潜めた。
「ありがとうございます。気をつけます」
そう返して互いに会釈し、男性と別れる。
数歩進んだところで違和感を覚えてふと後ろを振り返ったが、すでに男性の姿は見えなかった。
それから数年が過ぎて、また同じ山に挑戦した。
頂上から見た景色の雄大さをまた見たいと思ったからだ。
同じルートを通って山を登る。
すると、以前に男性と出会った所で、また同じ男性と遭遇した。
その時、前に感じた違和感の理由を理解した。
その男性は、いかにも冬山登山といった姿をしていたのだ。
私が登るのは夏山ばかりなので、そこに違和感を覚えたと思う。
「こんにちは」
朗らかに挨拶され、ぺこりと会釈される。
「…こんにちは」
「この先に行かれるんですか？」
「…の、予定です」
「そうですか。この先には扇岩ってのがあって、それを目印にして左に曲がるんですが、その手前によく似た偽扇岩っていうのがあるので間違えないよう気をつけてください」
ああ、と思った。
この男性はきっと間違えて偽扇岩で曲がってしまい、遭難したのだろう。
そして後続の者が間違えないよう、警告してくれているのだろう。
そう思うと切なかった。
「あ…りがとう、ございます…。気をつけます…」
「いえいえ。では頑張ってくださいね」
互いに会釈し、すれ違う。
すぐに振り返ってみたが、男性の姿はすでになかった。
あれからさらに数年が過ぎたが、あの男性は今でもきっと登山者に注意を促しているのだろう。
（終）
ＡＩによる概要
この話が伝えたいことは、「山が身近な異界である」というテーマを通して、時間や空間を超えた不思議なつながりや、過去と現在を結びつける存在についての深い思索です。登山者が出会った男性は、実際には過去に遭難した登山者の霊であり、後続の登山者に警告を与えている存在です。話の中で繰り返される「こんにちは」や「気をつけてください」といったやり取りが、時間を越えて繰り返され、男性の姿が消える度に読者はその異界の性質に気づきます。山という場所が持つ異次元的な側面や、登山者同士のつながりが、実際に経験したこととして感じられる一方で、死者が生者に警告を与えるというミステリアスな要素が物語を引き立てています。この話は、山の中で人々が交わす無意識のコミュニケーションや、過去の出来事が現在に影響を与えるというテーマを伝えていると言えます。
