『1215』に怯える日々
俺の兄貴は変わり者だった。
兄貴は近所でも皆がよく知るほどの
秀才かつ美男子で、
俺はよく同級生に「○○兄弟の出来が悪い方」
などと呼ばれていた 。
兄貴はかなりモテたくせに、
(2/14のバレンタインデーには、
家に女がたくさん来ていた)
高校や大学、そして社会人になっても、
親友や恋人を作ったりはしなかった。
これらのことは兄貴が死んだ後、
色々な人に話を聞いて分かったことだ。
12月15日には一体何が起こるのか・・・
大学に進学して一人暮らしを始めるまで
ずっと一緒に暮らしていた兄貴は、
弟の俺から見ても『かなりの変人』、
というか個性的だった。
例えば、
夜になっても帰って来ないから
警察沙汰にまで発展したが、
学校のジャングルジムの上で数時間、
ぶっ続けで瞑想していただけだったとか・・・
数日間、本を読み続け、
寝不足と過労で倒れるとか・・・
そういうことがよくあった。
俺が高校生の時、
その兄貴(当時23歳)が久しぶりに
実家へ電話をかけてきた。
俺と話をしたかったと言い、
しばらく世間話をしたんだけれど、
急に口調を変えて、
「ところでお前、
12月15日って何かあったか?
イヤな感じがするんだよなぁ」
と言った。
俺はアホだから日付と出来事を
セットで覚えていられるわけもなく、
その場は「大丈夫」と言ったのだが、
兄貴は腑に落ちない感じだった。
「そうか、ならいいんだけど。
まぁ気をつけておいてくれよ」
と言い残して兄貴は電話を切った。
それから3年後の『12月15日』、
兄貴が交通事故で死んだ。
即死ではなく、
病院での治療の末だった。
相手方の野郎も亡くなったが、
目撃者が大勢いたので、
完全にあちらの過失だったことも分かった。
葬式の時、
親戚から聞いた祖父さんのことで
あの時の兄貴の話を思い出し、
寒気が収まらなかった。
あぁ、兄貴はもしかしたら、
自分の死期に感づいていたのかって。
あの日から3年も経ったのに、
どうして俺がその電話とあの日付を
覚えていたのかと言えば、
電話の後で気になったので
家族に訊いてみた。
すると、『12月15日』という日は、
うちの祖父さんの命日だったからだ。
俺も兄貴も大好きだった祖父さんの命日では、
いい感じがするわけもないし・・・と。
兄貴がまだ健在の頃は、
それを知って心から納得していた・・・
遺品の中にノートパソコンがあった。
起動してみると、
その中には何故か、
俺に向けて書かれた手紙があった。
『●●へ。読んでください』
そんなファイルの名前だった。
その内容は、意識と肉体の話とか、
自己同一を否定する数秒の体験のこととか・・・
人間関係に気をつけて欲しい、
とも書かれていた。
一匹狼の兄貴が書くんだから笑えた。
それから、初恋の話。
そこだけは百数十ページある
文書の中でも可愛らしく、
読んだ当時は親しみを込めて
涙を流しながら読んだものだった。
しかし、その初恋の人も・・・
1年前の『12月15日』に亡くなっていた。
兄貴の死を知らせようと、
その人に連絡を取ろうとしたところ
分かったことだった。
身内ではないので詳しく書かないが、
交通事故だったそうだ。
兄貴とは幼稚園で数ヶ月一緒だっただけで、
また彼女はすぐに引っ越した為、
地元でも覚えている人は少なく、
亡くなったことは噂にもなっていなかった。
探偵まがいの事をして連絡先が分かり、
電話をして兄貴の初恋の人の死を知り・・・
俺は彼女の家族に会いに行った。
彼女が亡くなっていたことを、
兄貴が知っていたかどうかは分からない。
ただ、卒園後に連絡を取ったことは
一度も無かったようだった。
それ以来、
俺は『12月15日』と『車』が嫌いだ。
毎年この日が来る度、
やり切れない気分になる。
1215という数字を街中などで見かけて、
ドキッとすることがよくある。
飲酒運転をしようとした友達を、
殴り倒したこともある。
電話番号に1215が入っていた女の
携帯番号を変えさせたこともある。
兄貴は自分の死期を知っていたんじゃないか?
と思っていたが、
「あの兄貴が実家に電話をかけて来たこと」
「俺を名指しだったこと」
「俺に気をつけて欲しいと言ったこと」
「手紙を書いたこと」
などを考えると、
俺も『12月15日』に何かとんでもない災難に
遭うんじゃないかという気がしてならない。
もちろんその日は供養もしたいし、
毎年仕事を休ませてもらってはいるが・・・
(終)