干上がった池から見つかった白骨死体
これは今から40年以上も前になるが、香川県民の水瓶ともいえる満濃池が干ばつで干上がった。
満濃池は、かの弘法大師が築いた溜め池で、近隣にいくつもある灌漑用池(かんがいようち)が干上がることがあっても、まず干上がることがなかった池だ。
そして干上がった満濃池から、毛布か何かに包まれた『白骨死体』が見つかった。
弘法大師の涙雨
殺人事件として捜査が始まったが、一向に手がかりが無く、迷宮入りかと思われる事件となった。
この頃の地元では、「仏さんが見つけて欲しかったんや」、「いや、満濃池に遺体を放ったんで弘法大師さんがお怒りになったんや」などと囁かれたという。
その頃から満濃池周辺では、今までとは比べものにならないほどに『幽霊の目撃談』が増えた。
いずれも、似た特徴を持つ女性の幽霊の目撃談だった。
一方、捜査本部の方では最後の手段として(藁にもすがる思いから)、復顔を試みることになった。
その復顔を新聞に掲載したところ、岡山に住む女性から「行方不明になっている自分の姉にそっくりだ」との連絡が入った。
その行方不明の女性の足跡を追いかけていた刑事が、松山のスナックで働いていた事を突き止め、スナックの店主に復顔による顔を見せた。
すると、間違いなくそこで働いていた女性にそっくりで、いつからか行方が知れなくなった事、そして当時は男と一緒に暮らしていた事を証言した。
ところが、その男の行方を追い始めてからすぐに、憔悴しきった顔をしてその男が自首して来たのだ。
聞くと、警察が自分の周辺を調べ始めたことが分かってすぐに逃亡を企てたが、その頃から自分が殺害した女性が毎晩のように枕元に立って寝ることができない、との事だった。
こうして、あれよあれよという間に迷宮入りと思われた事件が解決したが、その直後に讃岐地方に大雨が降り、それまで干上がり続けた満濃池はあっという間に元のように満面に水を湛(たた)えるようになった。
この雨を、『弘法大師の涙雨』と呼んだ。
※参考
1973年8月14日:満濃池女性殺人死体遺棄事件(香川)|警察庁のサイトより
香川県満濃池で女性殺人死体を発見。復顔法により身元判明。|昭和49年版の警察白書より
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