母から聞いた私が子供の頃の不思議な話
これは、私が子供だった頃の話。
そもそも母は、俗に言う『狐持ち』の系統に生まれたらしい。
子供の頃から話半分に聞いていたが、たまに色々なことを言い当てることがあった。
偶然にしても、面白いものだった。
そんな母が、私が子供だった頃の不思議な話をしてくれた。
当時の父は、鉄塔の基礎を作る仕事を請け負っていた。
時代は高度成長期。
さすがに半農半猟ともいかなくなり、出稼ぎから始めた工事作業で現場主任まで任されるようになっていた。
鉄塔基礎の作業は、山中にケーブルを通し、機材を移送するところから始まる。
長年の山での知識が大きく役立った。
かつ、仕事が休みの時は相変わらず猟に勤しむ。
作業は基礎が完成次第、各地を順に回っていき、その度に飯場の移動があった。
民家を借りて、飯場と宿舎にする。
仕事師は常時15名程度。
藁葺き屋根や土間、囲炉裏も普通だった。
この頃に鉛弾も見ていたという。
私が3歳前くらいだったか、自分の記憶はあやふやだが、母は昨日のことのように思い出すらしい。
曰く、私はその日もいつものように母と飯場に残っていた。
すると突然、私が立ち上がって飯場の大きい座卓の周りをぐるぐると回り始めた。
母はいつもと少し様子が違うのに気がつき、声をかける。
私はそれを無視して、ぐるぐる回る。
そして、だんだん速くなる。
目も虚ろになった。
母は恐ろしくなり、私を止めた。
すると、「おとうがたぬきとった!」と私。
一言そう言い放つと、けろっといつものように遊び始めたらしい。
母は何事かと思ったが、子供の戯言と思い、帰ってくる仕事師の食事の支度に追われていたのもあって、そんなことはすっかり忘れていた。
しかしその夕方、山から父と仕事師たちが帰ってきて、母は愕然とする。
父がぶら下げて帰った麻袋から取り出したのは、血まみれの狸だった。
「なんで?銃も持っていっとらんじゃろうに?」
「おお、たまたま穴に入り込んどるのを見つけてのぉ、引っ張り出したんじゃあ」
母はその時、ハッと気になり、その時間を聞いた。
「昼飯食うて一仕事した後じゃけえ・・・3時半じゃったのぉ」
ちょうど、私が座卓の周りをぐるぐる回り出した時間だった。
件の狸は毛皮にされ、しばらくの間は土間で干されていたのが記憶に残っている。
その後、弾傷が無いので、毛皮商が良い値で買い取っていったそうだ。
~ 以下、後日談に続く ~
後日談
その飯場には、2匹の猫が同居していた。
父が山から拾ってきた猫で、名を『シロ』と『クロ』という。
その名の通り、純白と漆黒の猫だった。
父曰く、山中の仕事場で、2匹が弁当を貰いに来ていたのを連れ帰ったのだという。
野良猫ではないようだが、近くで飼っていた人も見つからず、そのまま飯場で飼っていた。
私は、この2匹の猫に遊んでもらいながら育った。
件の出来事があってからしばらくしたある日、また私がぐるぐると回りだした。
「シロがチャンにかかった!いたいいたい!」
2度目だったので母も今度は驚かず、しっかりと聞いてみた。
「どこが痛いんかね?」
「ここ、ここ!」
そう言いながら、自分の左足を叩く私。
ちなみに、チャンとは小型弱力のトラバサミの地方名である。
父はこれを幾つか山中に仕掛けていた。
夕方、仕事師が猫を抱えて帰って来る。
「怒って引っ掻くのでチャンを外すのに苦労しましたよ」
笑って語る。
シロの左足の傷は浅く、すぐに治った。
その後、飯場が変わる時に2匹の猫はもらわれていったが、クロが電車に轢かれて亡くなると、すぐにシロもどこかへ消えたと聞いた。
(終)