天使 4/5

天使

 

あれから何度かあの教室を覗いたが、

 

彼女はすでに早退した後か、

休みかのどちらかで結局会えなかった。

 

もともと休みがちだったというが、

これはどういうことなのか。

 

透けるような色白で、

 

スラリと伸びた細すぎる身体に

病弱そうな雰囲気は感じ取ったが・・・

 

ともあれ、

オリンピック精神と聞けば、

 

『参加することに意義がある』

 

とかいう、

陳腐なフレーズしか浮かばない。

 

※陳腐(ちんぷ)

古くさいこと。ありふれていて、つまらないこと。

 

それが自殺未遂にどう繋がるのだろう。

 

高野志穂が在籍しているというバレー部と、

なにか関係があるのだろうか。

 

そう言えば、

島崎いずみの方はいわゆる帰宅部で、

 

中学時代からなんのクラブ活動も

していなかったらしい。

 

毎日の放課後、

 

バレー部の練習のために学校に残る

高野志穂と別れ、

 

寂しそうに一人で帰る姿を

いつも目撃されている。

 

「オリンピック精神」

 

小さく口にしても、

 

真実に迫るようなインスピレーションは

なにも湧いてこない。

 

自殺未遂にはそぐわない

健康的なイメージばかりが、

 

浮かんでは消える。

 

そう言えば、

 

間崎京子はなにかクラブ活動を

しているのだろうか。

 

そう思った時、

横からヨーコに小突かれた。

 

「ちょっと、ちひろ。重症ね。

 

もうそんなこと忘れて、

パーッといきましょう。

 

今日、放課後、私と遊ぶ、

OK?」

 

ヨーコはすっかりいつもの調子だった。

 

苦笑して頷いた。

 

背中に高野志穂の怯えたような視線を

微かに感じながら。

 

「ねこがフェンスでふにゃふにゃふにゃ~」

 

というヨーコのでたらめな歌を聴きながら、

空き地の金網のそばを歩く。

 

「トムキャットのフェンスって、

良い曲だよ。

 

でもカラオケに入ってないんだよね」

 

くるりと振り向いたかと思うと、

そう訴える。

 

ヨーコはいつも唐突だ。

 

一緒にいると疲れることもあるが、

 

いつも楽しげな彼女を見ていると、

こちらも元気づけられる。

 

「そうそう、最近オープンした、

おしゃれな喫茶店が近くにあるんだけど、

 

行かない?」

 

連れられるまま5分ほど歩くと、

 

古着屋やレコードショップなど、

カラフルな外観の店が立ち並ぶ通りに、

 

目的の喫茶店が現れた。

 

さすがに真新しく、

清潔感のある店先だ。

 

中高生などの若い女性客が

多く入っているのが、

 

ウインドウ越しに見てとれた。

 

店内に入ると、

白を基調にした壁に、

 

可愛らしい天使の絵が

一面に描かれている。

 

「おすすめケーキふたつ。

あとアイスティーもふたつ」

 

と勝手に注文するヨーコを尻目に、

 

私はなにか引っ掛かるものを

店内から感じていた。

 

席に着いて、

 

いついつの情報誌にここが出ていた

などと語るヨーコの話にも上の空で、

 

私は壁の絵ばかりを見ていた。

 

「あー、これなんか見たことある」

 

そう言って、

ヨーコは一つの絵を指さした。

 

椅子に腰掛けて両手を胸にあてる女性に、

羽の生えた人物が何かを語りかけている。

 

処女であるはずのマリアに

天使が受胎を告知する、

 

聖書のワンシーンだ。

 

しかし、

 

随分デフォルメされてしまっていて、

子どもじみた絵になっている。

 

「ガブリエル」

 

私の言葉に、

ヨーコが「え?」と聞き返す。

 

「この天使の名前」

 

ヨーコは感心した表情で、

 

「天使に名前なんてあるんだ。

みんな一緒かと思ってた」

 

と呟く。

 

私は心臓が裂けそうにドキドキと、

脈打つのを感じていた。

 

そして、

頭の中で言葉が鐘のように鳴る。

 

天使。

 

天使の名前。

 

そうだよ、ヨーコ。

 

天使に名前はあるんだ。

 

私は椅子の足を鳴らせて、

席を立った。

 

「どうしたの」

 

と聞くヨーコを横目で見ながら、

 

「ゴメン、急用思い出した。

先帰る」

 

と一方的に言って、

 

おすすめケーキとアイスティーの代金を

テーブルに置き、

 

出口に向かう。

 

ヨーコの非難するような声が

背中に届いたが、

 

無視した。

 

店を出た後、

その足を町の図書館へと向ける。

 

嫌な予感がする。

 

自分の記憶が

間違っていてくれたらと思う。

 

けれどその30分後、

 

広げた大きな事典の中に

その名前を見つけた時、

 

人気の無い静かな図書館の片隅で、

私は深い息をついた。

 

心臓が冷たい血を全身に送っている。

 

そしてそれはぐるぐると巡り、

もう一度心臓に還って来る。

 

すべてが繋がっていく。

 

とても冷酷に。

 

バラバラだったパズルの欠片が、

ひとつひとつと繋ぎ合わされ、

 

見えつつある絵の向こうから、

途方もなく暗い誰かの目が覗いていた。

 

怖い夢を見ていた気がする。

 

枕元の目覚まし時計を止め、

 

身体をベッドから起こしながら

思い出そうとする。

 

カーテンの隙間から射し込む光に目を細め、

思い出そうとしたものを振り払う。

 

セーラー服に袖を通し、

朝ごはんをかきこんで家を出た。

 

足がスイスイと前に出ない。

 

気分が沈んだまま、

 

いつもより時間をかけて

学校にたどり着いた。

 

人でごった返す昇降口で、

靴箱から上履きを出していると、

 

廊下の方に目がいった。

 

スラリとした長身。

 

ショートカットの髪が耳元に揺れる。

 

切れ長の涼しい目。

 

透き通るような白い肌。

 

間崎京子だった。

 

あっという間に通り過ぎて

見えなくなった彼女を、

 

その残像を睨みつけて、

私は心の中で暴れる感情を抑えていた。

 

その日の1時間目は英語の授業だった。

 

黒板の英文をノートに書き写している

私の机に、

 

丸めた紙がコツンと落ちて来た。

 

広げると、

 

『やい、ちひろ。

 

おかげでケーキふたつも

食っちまったゾ。

 

おデブちゃんになったら

どうしてくれる `皿´』

 

という文面。

 

『スマン。

 

スマンついでに昼休み、

ちょっとつきあってくれ』

 

と書いたノートの切れ端を返す。

 

『OK』

 

の返事。

 

何事もなく時間は過ぎ去り、

やがて昼休みを告げるチャイムが鳴った。

 

ざわめきが教室に広がる中、

 

私は立ち上がり、

高野志穂の席へ向う。

 

「ちょっと来て」

 

その瞬間、

緊張したような空気が周囲に流れる。

 

私は構わず、

 

金縛りに遭ったように身を固くした

高野志穂の腕を取って、

 

強引に立たせた。

 

「ちょっと、ちひろ」

 

と言いながら、

 

近づいてきたヨーコにも

有無を言わせない口調で、

 

「一緒に来て」

 

と告げる。

 

クラス中の匿名の視線を浴びながら、

私は二人とともに教室を出た。

 

早足で校舎裏の秘密の場所に向かう。

 

相応しい場所は、

そこしかないような気がしていた。

 

なにかぶつぶつ言いながらも

ついてくるヨーコは、

 

不機嫌な顔を隠さなかった。

 

高野志穂は蒼白とも言っていい顔色で、

足取りもふらついて見える。

 

私は彼女の腕をつかむ手に、

軽く力を込めた。

 

しっかり歩け、と。

 

誰もいないその場所に着いて、

私は高野志穂を壁側に立たせた。

 

今は遠くのざわめきも聞こえない。

 

校舎の壁に反射して、

陽射しが目に痛い。

 

白く輝きながら、

夏がもうそこまで来ている。

 

「怖がらずに答えて欲しい」

 

高野志穂は生唾を飲みながら、

それでもコクコクと頷く。

 

その目は正体なく泳いでいる。

 

「島崎さんが自殺しようとした

理由を知ってるな」

 

頷く。

 

「そのことで、

 

彼女は間崎京子の所へ

相談に行ったな」

 

頷く。

 

「占ってもらった結果を知って、

 

ショックを受けた彼女は

思い余って手首を切った」

 

頷く。

 

「その絆創膏の下は、

バレー部の練習でついた傷じゃないな」

 

頷く。

 

「島崎さんとあなた。

二人とも誰かに恐喝されていたな」

 

・・・頷く。

 

「かなりの額のお金を

脅し取られていたな」

 

頷く。

 

「他の人に言えば、

 

もっと怖い人から

酷い目に遭わされると?」

 

頷く。頷く。

 

「恐喝していたのは、

こいつだな」

 

ヨーコが悲鳴をあげた。

 

私が強い力で腕を引っ張ったからだ。

 

「ちょ、ちょっと、

なに言うのよ、ちひろ。

 

痛い。痛いって」

 

喚くヨーコの目の前で、

 

高野志穂は今にも倒れそうな

顔つきをしながら、

 

しかし、歯を食いしばるように

必死で頷いていた。

 

私は冷たい心臓が送り出す血が、

 

体内でチロチロと低温の火を点して

いるようなイメージを抱きながら、

 

言葉を続けた。

 

「あなたたちが私の方を

怯えたような目で見ていたのは、

 

いつも隣に居たこいつを

恐れていたからだったんだな」

 

またヨーコが悲鳴をあげる。

 

暴れる腕を遠慮ない力で捻りあげた。

 

「私は、あなたたちが想像したような

人間じゃないから安心しろ。

 

こいつを今こうしているのが証拠だ。

 

だから答えてくれ。

いつからだ。

 

どうしてこいつに?」

 

高野志穂は震えながらも、

やがてボソリ、ボソリと語り始めた。

 

(続く)天使 5/5

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