人に化けて悪さをする物の怪
昔に山で仕事をしていた時の話。
仕事を終えて作業道を歩いて下っていると、上の方で“妙な声”がした。
「ホゥ」とか「ウォ」と聞こえるが、山で呼ぶ時にそんな声を出す人もいるから「誰かいるのかな?」と思って上を見た。
すると、尾根の方に小さな人影が見えた。
※尾根(おね)
谷と谷に挟まれた山地の一番高い部分の連なり。
物の怪に呼ばれたのだろうか?
逆光でシルエットしか見えないが、どうやらこちらを見ている様子。
俺も「オオゥ」みたいな声で答えたが、向こうはじっとして動かない。
何なんだ?と思っていると、今度はこちらに手を振ってジャンプし始めた。
訳が分からないし、疲れていたので、「降りるぞー!」と言ってそのまま林道へ降りた。
先に降りていたおっさんが「誰か居たのか?」と訊くので説明すると、ちょっと嫌な顔をした。
「コダマかも知れん」と言う。
「何それ?」と問うと・・・、
「人に化けて悪さをする。昔はコダマを見たら、その日は家に帰って一歩も外へ出るなって言われていた」
「夜中に呼ばれたり、戸を叩かれても、絶対に返事をしてはいけない。今はそんなことないかも知れないが・・・」
おっさんは一頻(ひとしき)りそんなことを言った後、
「念のため、今晩はお前も外へ出ない方がいいぞ!」
そう俺に忠告した。
俺は当時、駅近くの飲み屋へ毎晩のように通っていたが、おっさんの言葉がやっぱり気になり、その夜は大人しく家に居た。
だが結局は、名前を呼ばれたり、戸を叩かれたりはしなかった。
次の日の朝、仕事の続きをしに作業道の入口まで来ると、おっさんが先に来ていた。
いつもは先に来くると、さっさと足拵(あしごしら)えを済まして火を焚いて待っているのに、なぜか軽トラの中でタバコを吸っている。
俺が近づくと、車から降りてきて作業道の入口を指差した。
ウサギ2匹と鹿の死体が重なって置かれていた。
しかも、内臓が全て抜かれている。
一目見て吐きそうになった。
「今日は山へ入らない方がいい・・・」
そう言われたが、俺も仕事をする気にならなかったので、これ幸いと引き返した。
その後、その山の仕事を続ける気にならなかったので、おっさんに頼み込んで他の仕事師に代わってもらった。
おかげで年末にかけて金が足らなくなり飲み屋に行く回数も減ったが、「代わりの仕事師が大怪我をした」という話を聞いて本気でゾッとした。
何かに気を取られ、倒れてくる木の下敷きになったらしい。
もしかして『コダマ』に呼ばれていたのだろうか?
(終)