真偽不明な噂が多い府営団地にて
これは、地元の友人から聞いた話。
友人の実家はあまり裕福ではなく、子供の頃はボロボロの府営団地に住んでいた。
その友人宅には何度も遊びに行っていたが、まあ家賃相応の酷さだった。
3階建ての建物は満遍なく蜘蛛の巣が張っており、日の光は全然入らなく、階段の電灯はいつ行ってもチカチカしている。
帰りが遅くなった時は、3階にある友人の部屋から一人で帰るのが結構怖かった。
そんなボロさのせいか、地元では『その団地は幽霊が出る』と噂されていた。
深夜になるとC棟の2階の踊り場に血まみれの女が出るとか、ゴミ捨て場になっている小屋は死体が遺棄されたことがあるとか、そもそも団地の敷地全体が昔は墓場だったとか、それはもう真偽不明な噂を色々と聞いた。
そんな胡散臭い噂の数々の中でも1つ、異質を放っていた話がある。
『E棟の住民は必ず離婚する』という噂だ。
その府営団地は3階建ての1棟につき3LDKの部屋が6戸、それがA~J棟まで10棟あり、60世帯が入居できるようになっている。
他の同級生もその団地に住んでいる子が多く、常時部屋はほぼ一杯の状態。
そんな中で、確かにE棟だけは他の棟に比べて人の出入りが激しかった。
友人が住んでいたのはD棟で、件のE棟のすぐ隣。
なので、引越屋のトラックが頻繁に停まっているなとか、あの部屋はいつも明かりがついていないから空室なのかなとか、そういったことも把握できていたようだ。
ただ、住民同士の交流がそんなにあったわけでもないので、本当に離婚して引っ越して行くのかは不明なのだが、先月に入った家族が翌月には引っ越しをしているということも珍しくなかったようで、あの棟にはやっぱり何かあるのかも、と他の棟の住民も少し気味悪がっていたという。
友人が中学生になった時、友人宅は父親の仕事の都合でその府営団地から引っ越すことになった。
引っ越し作業中、手伝いもひと段落して、友人は団地に併設されている公園を訪れた。
住民以外の子供も遊びに来るようなそこそこ大きい公園だったが、中学生になってからはあまり訪れなくなっていたこともあり、懐かしい気持ちで久しぶりに足を運んだ。
その時も数人の子どもたちが遊具で遊んでいたが、初めて見かける子供が一人きりでベンチに座っていた。
近づいてみると、自分より少し年下の小学校高学年くらいの男の子に見える。
その子は遊具で遊ぶわけでもなく、ゲームをしたり漫画を読んだりしているわけでもなく、ただベンチに座ってじーっと俯いていた。
何だか気になって友人は、声をかけた。
話をしてみると、その男の子は今月になってからあのE棟に引っ越して来たという。
質問をするとぼそぼそと受け答えはするものの、相変わらず男の子の顔は俯き気味で元気がない。
暗い奴だなあと思いながらも何となく話を続けていると、その男の子は突然「ぼくの大事なもん見せてあげる」と言い出した。
そんなに興味はなかったものの、とりあえず「へえ、何?」と友人が聞いてみると、「こっち」と男の子がE棟に向かって走り出した。
突然の行動に戸惑いつつもその後を付いて行くと、男の子はE棟の前に設置されている自転車小屋に入って行った。
そして、ずらっと並んだ自転車のうちの1台に近づき、雨除けカバーで包まれたカゴの中に手を突っ込むと、男の子は汚れたお菓子の缶を取り出した。
どうせ変な形の石とかだろうなと期待しないでいたが、男の子がフタを開けた缶の中にはぎっしりと“手紙”が入っていた。
白、ピンク、茶色と色柄も形も統一性のない封筒が大体20~30は入っていたようで、友人は訳がわからない状態に。
すると男の子が一つの封筒を取り出し、中に入っている手紙を取り出して見せてくれた。
途端、友人は思わず「えっ…」と声を出してしまった。
その便箋には筆ペンのようなものを使った流暢な文字で一言、『子どもをください』と書かれていた。
友人が思わず「何これ…」と呟くと、男の子は続いて何枚か手紙を取り出す。
内容はほとんどが同じもので、多少言い回しは違うものの、全て『子どもをください』、『子どもがほしい』といったもの。
中には、一転して荒れた文字で『なんでくれないんですか』と書かれたものもあった。
友人は完全に引いている中、男の子は嬉しそうに次々に手紙を見せてくる。
いくつ目かの手紙を開いて、男の子は突然「これはぼくのお母さんからもらった」と言い出した。
「この手紙の人がぼくの本当のお母さん。ぼくはもうすぐ本当のお母さんのとこに行く」
そんな風なことをずっと言っていた。
友人はもう気味が悪いし訳もわからないしで、「もう帰らないといけない」とだけ伝え、急いで逃げ帰った。
帰ってから家族に伝えようかとも思ったが、改めて思い出してみてもよくわからないし、引っ越しでバタバタしていることもあり、結局は言うことはなかった。
その手紙が何だったのか、E棟の噂の原因は何だったのか、その男の子はどうなったのか、何もわからずじまい。
ただ、私がこの話を聞いた時にはその出来事からもう10年ほど経っていたが、「今でもあの本当に嬉しそうな顔が忘れられない」と友人は言っていた。
(終)