禁断の地へ足を踏み入れた山猟 2/3
どう見ても、
それは人間の顔だったそうです。
しかも、
2~3歳くらいの赤子の。
体長は1メートル50センチ程で、
豹の様な体に、薄い体毛。
分かり易く言うならば、
『豹の体に顔だけ人間の赤子』
といった風貌です。
「バケモンだ・・・」
正夫の恐怖は絶頂に達しました。
ソレはイノシシの血でギトギトになった
口を舌で舐め回しながら、
正夫に近づいて来ます。
「殺される・・・」
正夫がそう思った瞬間、
タケルがソレに飛びかかりました。
タケルはソレの右前足に食らい付き、
首を激しく振っています。
ソレは人間の赤子そっくりの
鳴き声をあげ、
左足でタケルの鼻先を
引っ掻いています。
しばらく唖然としていた正夫ですが、
我に返ると、
体が自由に動く事に気がつきました。
すぐさま1発撃ちます。
不発でした。
「そんな馬鹿な」
正夫は猟銃の手入れを欠かさずやっており、
今日も猟に出る前に、
最終確認をしたばかりです。
もう一度、
引き金を引きました。
不発です。
正夫が手間取っている内に、
ソレはタケルの首筋に食らい付きました。
タケルが悲壮な鳴き声をあげます。
正夫は無我夢中で腰に付けていた
大型の山刀を振りかざし、
こちらに背を向けているソレの背中に
斬りつけました。
「ルル・・・・・アアア・・・・・」
と発情期の猫の様な鳴き声で
ソレは鳴きましたが、
依然としてタケルの首筋に
喰らい付いたままです。
正夫はもう一度山刀を振りかぶり、
ソレの尻尾を切断したのです。
尻尾を切断されたソレは、
「アルルルルルルルルル!!」
と叫び声をあげ、
森のさらに奥の茂みの中へと
消えていきました。
正夫はしばらくの間、
呆然と立ち尽くしていましたが、
「ハッ・・ハッ・・ハッ・・・・・」
というタケルの苦しげな息遣いを聞いて、
我に返りました。
タケルの首筋には、
人間の歯形そっくりの噛み痕が
付いていました。
出血はしていましたが
傷はそれほど深くなく、
正夫は消毒薬と布をタケルの首に当て、
応急手当をしてやりました。
何とか自力で歩ける様子です。
モタモタしていると、
またあのバケモノが襲って来ないとも
限りません。
正夫はタケルと共に、
急いで山道を下りました。
やがて、
正夫の山小屋が見えてきました。
ここからだと、
正夫の村まで30分とかかりません。
安堵した正夫は、
さらに足を早めて村へと急ぎました。
「変だな・・・」
と正夫が思ったのは、
山小屋から下り始めてから
15分ほど経った頃です。
同じ道をグルグル回っている様な
錯覚を感じたのです。
この山は、正夫が幼少の頃から
遊び回っている山なので、
道に迷うなどという事は、
まずありえないのです。
言い知れぬ不安を感じた正夫は、
さらに足を早めました。
さらに15分が経った時。
「そんな馬鹿な・・・」
目の前に、
さっきの山小屋があったのです。
正夫は混乱しましたが、
あまりの出来事に気が動転し、
道を間違えたのだろうと思い、
もう一度、
いつもの同じ道を下りました。
しかし、
すぐさま正夫は絶望感に襲われました。
どうしても山小屋に戻って来てしまうのです。
タケルも息が荒く、
首に巻いた布からは血が滲んでいます。
正夫は気が進みませんでしたが、
今日は山小屋に泊まる事に決めました。
正夫が山小屋の中へ入った時は、
既に午後8時を過ぎていました。
急に安堵感、疲労感、空腹感が正夫を襲い、
正夫は床に大の字になって寝転がりました。
そして、先程遭遇した
バケモノの事を考えていました。
「やっぱりあれは、
山の神さんだったんじゃろか」
そう思うと体の震えが止まらなくなり、
正夫は気付けに山小屋に保存してある
焼酎を飲み始めました。
保存食用のイノシシの燻製もありましたが、
あまり喉を通りませんでした。
タケルに分けてやると、
喜んで食いつきます。
「今日は眠れねぇな」
そう思った正夫は、
猟銃を脇に置き、
寝ずの番をする事を決心しました。
「ガリガリ、ガリガリ」
何かを引っ掻くような音で、
正夫は目が覚めました。
疲労感や酒も入っていたので、
いつの間にか寝てしまっていた様です。
時計を見ると、
午前1時過ぎでした。
「ガリガリ、ガリガリ」
その音は、
山小屋の屋根から聞こえてきます。
タケルも目が覚めた様で、
低く唸り声をあげています。
正夫も無意識のうちに、
猟銃を手に取っていました。
「まさか、
あいつが来たんじゃなかろうか・・・」
そう思った正夫ですが、
山小屋の外に出て確かめる勇気も無く、
猟銃を握りしめて、
ただ山小屋の天井を見つめていました。