エレベーター 3/4

エレベーター

 

矢印のボタンは、

ランプが点いたままだった。

 

「やっぱり故障じゃないか」

 

『この階に来て扉を開け』

 

という命令を示すランプが点灯しているのに、

箱が1階に止まったままなのだから。

 

俺は矢印ボタンを連打した。

 

たぶん機械が古くなって、

本体の反応が悪くなっているのだろう。

 

俺の連打が効いたのか、

 

ようやく箱の現在位置は動き始め、

俺たちの前で扉が開いた。

 

中には誰も乗っていない。

 

友人を促して乗り込む。

 

操作盤の1階のボタンを押してから、

『閉』のボタンを押す。

 

すぅっと扉は閉まり、

落ちていく感覚が始まる。

 

箱の中に僅かに残る香水のような匂いを、

鼻腔が感知する。

 

不快だ。

 

顔が黒く塗りつぶされた人物のシルエットが、

俺の中でおばさんパーマに変わる。

 

1階に着いた。

 

すんなり開いた扉を出て、

無人のエレベーターの中を振り返る。

 

本当にただの故障だろうか。

 

夕日が射す中を、

扉は影を作りながら閉じていく。

 

完全に扉は閉まり、

箱の中は見えなくなった。

 

ふと、思う。

 

今この場でもう一度ボタンを押して

この扉を開いたとして、

 

中に誰かが居たらどうしよう・・・

 

嫌な空想だ。

 

自分で勝手に恐怖を作ろうとしている。

 

我ながら悪癖だと思う。

 

けれど、

以前ある人が言っていたことを思い出す。

 

「想像って、

自発的なものとは限らないだろう。

 

ババ抜きの最後の二択で、

 

片方だけ取り易いように少し出っ張ってたら、

そっちがババじゃないかって想像するよな。

 

なにかに誘発される想像もあるってことだ。

 

もし目に見えないジョーカーを

視覚以外のなにかで知覚したなら、

 

それは想像の皮を被って

現れるかも知れない」

 

持って回った表現だが、

俺はそれを彼なりの警告と捉えている。

 

つまり、

 

感じた恐怖を疎かにするな、

ということなのだろう。

 

けれど、

あまり真剣には受け取っていない。

 

そんな想像をこそ、

妄想というのだろうから。

 

「で、どうする」

 

チッチッという音がして、

石ころが舗装レンガの上を滑っていく。

 

何人かの子どもが、

そのあとを駆け抜ける。

 

マンションの壁に遮られて

その姿が見えなくなっても、

 

長く伸びた影だけが、

 

何かの戯画のように

蠢いて地面をのたうっている。

 

俺はそちらにゆっくりと歩いていき、

声をかけた。

 

「このマンションの子?」

 

ギョッとした表情で、

全員の動きが止まる。

 

6、7人いただだろうか。

 

小学校高学年と思しき一人が、

疑り深そうな目で「なんですか」と言った。

 

「ちょっと訊きたいんだけど」

 

と間を置かずに切り出して、

 

「このマンションのエレベーターで、

何かおかしなことはないか」

 

と訊いた。

 

一瞬、顔を見合わせる気配があったが、

おずおずと一人が代表して、

 

「知りません」

 

と答える。

 

「エレベーターじゃなくてもいいけど、

オバケが出るとかいう噂がないか」

 

重ねて訊いていると、

 

すでに後ろの方にいた何人かが、

石ころを再び蹴飛ばして走り始めた。

 

代表の男の子もそちらに気を引かれて

モジモジしている。

 

「何か変なものを見たとか、

そういうこと聞いたことないかな」

 

男の子は気味の悪そうな顔をして、

 

「ナイデス」

 

と小さな声で何度か繰り返し、

すぐ後ろにいた子に、

 

「おい、行こうぜ」

 

と突かれてから、

クルリと背を向けて走り去っていった。

 

「あ~あ」

 

友人がため息をついた。

 

「子どもはこういう話、好きそうなのに」

 

と呟く。

 

「大人にも聞く?」と問う俺に、

「う~ん」と気乗りしない返事をして、

 

彼は傍らのブランコに足をかけた。

 

「苦手なんだよな。ここの人たち」

 

「どうして」

 

俺も、もう一つのブランコに

腰をかける。

 

キイキイと鎖を軋ませながら友人は、

 

「オレの実家は田舎でさあ」

 

と話し始めた。

 

隣近所はすべて顔見知りだったこと。

 

近所付き合いは得意な方ではなかったが、

 

道で会えば挨拶はするし、

食事に呼ばれることもあったし、

 

いたずらがバレて叱られたりもした。

 

良くも悪くも、

そこでは人間関係が濃密だった。

 

けれど大学に入り、

ここで一人暮らしを始めてから、

 

隣近所の人との交流が

まったく無くなっていること。

 

「最初は挨拶してたんだけど、

反応がさ、薄いんだよね。

 

シーンとしてる狭い通路ですれ違っても、

こう、会釈するだけ。

 

立ち話なんてしないし、

 

隣の家の子どもが二人なのか三人なのか

知らないんだぜ、オレ」

 

友人の言いたいことは俺にもわかった。

 

俺自身、

今のアパートに越してから、

 

同じアパートの住人とは

ほとんど会話を交わしていない。

 

学生向きの物件ということもあったが、

 

生活時間もみんな違うし、

隣の人の顔も知らない。

 

知りたいとも思わない。

 

すれ違っても、

妙な気まずさがあるだけだ。

 

「無関心なんだよな」

 

友人はぼそりと言った。

 

そうとも。

 

そして俺たちもそれに染まりつつある。

 

こんな風に密集して生きていると、

みんなこうなっていくのだろうか。

 

ふと、高校の頃に習った、

バッタの群生相の話を思い出した。

 

※バッタ群生相

生活の条件の変化に応じて、大きくなったり小さくなったり、羽が生えたり生えなかったりと、姿を変えていくこと。相変異(そうへんい)。

 

「知らない住人とさ、

 

エレベーターに乗り合わせたら

凄く息が詰まるよ。

 

デパートのエレベーターなら

それほどでもないのに」

 

顔を上げると、

 

日が落ちて薄闇が降りてきた

マンションの中へ、

 

顔も見えない誰かの後ろ姿が

吸い込まれていくところだった。

 

キイキイという音だけが響く。

 

匿名だ。

 

何もかもが匿名だ。

 

匿名のままこの巨大な構造物の中を、

無数の人々が影のように蠢いている。

 

(続く)エレベーター 4/4

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