鋏 1/5
大学3回生の頃、
俺はダメ学生街道を
ひたすら突き進んでいた。
2回生からすでに大学の講義に
出なくなりつつあったのだが、
3年目に入り、
まったく大学に足を踏み入れなくなった。
なにせその春、
同じバイトをしていた角南さんという
同級生にバイト先にて、
「履修届けの締め切り、
昨日までだけど、出した?」
と恐る恐る聞かれて、
その年の留年を早くも知ったというのだから、
親不孝にも程があるというものだ。
では、大学に行かず、
何をしていたかというと、
パチンコ、麻雀、競馬といった、
ギャンブルに明け暮れては
生活費に困窮し、
食べるために平日休日問わず
バイトをするという、
情けない生活を送っていたのだった。
大学のサークルには顔を出していたが、
一番仲の良かった先輩が卒業してしまい、
自然に足が遠のいていった。
その先輩は大学院を卒業して、
大学図書館の司書におさまっていた。
この人が俺に道を踏み外させた
張本人と言っても過言ないのだが、
まさかこんなにまともに就職してしまうとは
思わなかった。
俺が大学に入ってからの2年間、
あれだけ一緒に遊び回っていたのに、
片方が学生でなくなってしまうと
急に壁が出来たように感じられて、
自然と距離を置くようになった。
職場の仲間やギャンブル仲間、
バイト仲間という、
それぞれの新しい世界を
築いていく中で、
オカルト好きという子供じみた共通項で、
かろうじて繋がっているような関係だ。
思い返すとその頃の彼は、
付き合っていた彼女も学部を卒業し、
県外に就職してしまっていたせいか、
妙に寂しげに見えたものだった。
梅雨が明けた頃だっただろうか。
以前よく顔を出していたネット上の
オカルトフォーラムの仲間から、
オフ会のお誘いがあった。
ここも中心メンバーが二人抜けてからは、
まるで代替わりしたように
新しい人ばかりになり、
少し居辛さを感じて、
あまり関わらなくなっていた。
午後8時過ぎ。
集合場所は市内のファミレスだったが、
俺は妙に緊張して店内に入っていった。
「やぁ」という声がした方に、
昔からの顔馴染みの
みかっちさんという女性を見つけ、
少しほっとする。
同じ顔ぶれで何度も重ねたオフ会のような
気だるい雰囲気はなく、
新しい人の多い、
なんというか、
ギラギラした空間があった。
オカルト系のオフ会なんだから
オカルトの話をしないといけない、
という強迫観念めいた空気に
上滑りするようなトークが絡んで、
俺には酷く疲れる場所に
なってしまっていた。
その会話の中で、
一際目立っている女性がいた。
積極的に話に加わっている
わけではなかったが、
周囲の男性陣がやたらと話しかけている。
その原因は明らかで、
彼女がゴシック風の黒い服を着こなした、
美少女と言っていい容姿を
していたからに他ならない。
俺にしても恋人がいなかった昔は、
なにか起こらないかという、
そういう下心を持って
オフ会に参加したこともある。
しかし今、
端から冷静にそういう光景を
目にしていると、
酷く間が抜けて見える。
その少女はそういう手合いに
慣れているのか、
淡々とあしらっていた。
しかし、かくいう俺も、
その容姿に別の意味で
気が惹かれるものがあった。
どうも見覚えがある気がするのである。
すでに飲み干したコーラのコップを
無意識に口に運びながら、
チラチラと少女の方を見ていたのだが、
一瞬視線が合ってしまい、
すぐに逸らしはしたものの、
気まずさに「トイレ、トイレ」と、
我ながら情けない独り言を言いながら
席を立った。
とりあえず男子トイレで
用を足して出てくると、
驚いたことに、
さっきの少女が正面で待っていた。
「ちょっといい?」
という言葉に戸惑いながらも、
「え?なにが」
と返したが、
その聞き覚えのある声に、
ようやく記憶が呼び覚まされた。
「音響とかいったっけ」
2年くらい前に、
若い子ばかりが集まった
オカルトフォーラムのオフ会で、
俺に『黒い手』という恐ろしいものを
押し付けてきた少女だ。
「今のハンドルはキョーコ」
人差し指を空中で躍らせながらそう言う。
響子。
確かにスレッドに参加していたと
思しき連中から、
さっきそう呼ばれていた気がする。
しかし、
俺にとってその響きは、
なんだか不吉な予感のする音だった。
「てことは、
本名が音ナントカ響子なわけか。
音田とか音無とか」
余計な詮索だったらしい。
不機嫌そうな眉の形に、
俺は思わず口を閉ざした。
「ちょっと困ったことがあって・・・
助けて欲しいんだけど」
「は?俺が?」
音響は、
(たとえ頭の中でもキョーコという
単語を出したくない気分だった)
オフ会の集団のいる席の方へ
顔を向けながら、
バカにしたような口調で言った。
「あんな連中、
てんでレベルが低くて」
それはまあ、
そうだろうけれど。
同意しつつも、
ではなぜ俺に?
という疑問が沸いた。
すると彼女は、
「黒い手はホンモノだった」
と言った。
そして、
「アレから逃げ切ったらしいと聞いて、
ずっと気になっていた」
と言うのだ。
(続く)鋏 2/5