図書館 1/2
大学2回生の時、
出席しなくてもレポートだけ提出すれば
少なくとも可はくれる、
という教授の講義を取っていた。
嬉々として履修届けを出したにも関わらず、
いざレポートの提出時期になると、
『なんでこんなことしなきゃいけないんだ』
とムカムカしてくる。
最低の学生だったと、
我ながら述懐する。
※述懐(じゅっかい)
考えている事や思い出を述べること。
ともかく、
何時以来かという大学付属図書館に、
参考資料を探しに行った。
IDカードを通してゲートをくぐり、
どうして皆こんなに勉強熱心なんだ
と思うほどの、
学生でごった返すフロアをうろうろする。
こんなに暗かったっけ。
ふと思った。
いや、
高い天井から照明は明々と
フロア中を照らしている。
目を擦る。
郷土資料が置いてある一角の
光の加減がおかしい。
妙に暗い気がする。
上を見ても、
蛍光灯が切れている部分はない。
俺が首を傾げているその時、
眼鏡をかけた男子学生がその一角を横切った。
スッと俺の目に暗く見える部分を避けて。
決して不自然ではない足運びだった。
本人もどうしてそんな動きをしたのか、
1秒後には思い出せないだろう。
全然興味のない郷土史を手に取ろうと
近づいてみる。
その本棚の微かな陰に右足が入った途端、
すごく嫌な感じがした。
嫌な予感というのは、
きっと誰でも経験したことがあるだろう。
その嫌な予感を、なんいうか、
腹の下のあたりにゆっくりと
降ろしてきたような、
そんな感覚。
決して絶対的に拒絶したいわけではないけれど、
触れずに済むならそれに越したことはない。
人差し指まで掛けた分厚い装丁の本を、
元の位置に戻す。
これはなんだろう。
レポートのための資料探しなどすっかり忘れて、
俺は図書館内を歩き回った。
そして、
そんなエアポケットのような場所を
いくつか発見した。
遠くからそうした場所を観察していると、
足を踏み入れる人がやはり少ないことに気づく。
目的の本があって、
迷いなくそちらへ向かう人もいるが、
ただ単にどんな本があるか
見て回っているだけと思しき人は、
ほぼ例外なく、
そのエアポケットを避けている。
そのスポットの本の種類は様々だ。
これは一体なんなのだろう。
1回生の頃には感じられなかった。
俺は大学入学以来オカルト好きが高じて、
色々な怖いものに首を突っ込み続けた結果、
明らかに霊感というのか、
ある方面に向いたインスピレイションが
高まっていた。
それが原因としか思えない。
しかし、
このエアポケットからは、
直截的に霊的なものは感じない。
※直截(ちょくせつ)
まわりくどくなく、ずばりと言うこと。
と思う。
でも、単純に俺の直感が
至らないだけなのかも知れない。
そこで、
一番嫌な感じのする場所に、
あえて踏み込んでみた。
周囲の目もあるので、
適当に掴んだ本を開いて、
その場に立ち続ける。
嫌な予感をぐるぐると渦巻状にしたようなものが、
下半身にズーンと溜まっていく。
段々と周りの光が希薄になり、
酸素が足りてない時のように視界が暗くなって、
そして、
すぐ隣で同じように本を立ち読みしている人が、
止まったまま遠ざかっていくような、
雑音が消えていくような、
気圧が低くなっていくような・・・
思わず飛びずさった。
何も感じないらしい隣の人が、
なんだろうという表情でこちらを見る。
俺は知らぬ間に浮かんでいた
冷たい汗を拭って、
投げるように本を棚に戻して、
そのまま図書館を出た。
後日、
サークルの先輩にその話をした。
俺を怖いものに首を突っ込ませ続けた
張本人であり、
師匠風をやたらと吹かせる人だ。
「ああ、旧図書館か」
したり顔で合点する。
「あそこは、いろいろあってね」
そう続けて、
俺の顔を正面から見据えてから、
「興味がある?」
と聞いてきた。
ないわけはない。
つれられるままに夕方、
図書館のゲートをくぐった。
「あそこですけど」
通り過ぎようとする師匠に、
本棚の並ぶ一角を示す。
それを無視するように足早に進むので、
仕方なしに追いかけた。
書庫へ向かっていた。
何度か入ったことはあったが、
薄暗くカビ臭いような独特の空気が
好きになれない場所だった。
それに、
書庫にあるような本は、
一般のぐーたら学生には縁遠い。
「タイミングが重要だ」
出入り口に鍵は掛かるが、
今はまだフリーに出入りできる。
師匠は書庫に入ると、
俺に目配せをしながら、
あるスペースに身を潜めた。
俺も続く。
誰にも見られなかったと思うが、
少し緊張した。
ここで、時間を、潰す。
師匠が声をひそめてそう言った。
どうやら、
夜の図書館に用があるらしい。
見回りの職員の目からロストするために、
姿を隠したのだ。
そうか。
書庫は図書館自体が閉まるより、
早く施錠されるから・・・
随分待つ羽目になったが、
人名尻取りを少しやったあと
ウトウトし始め、
あっさりと二人とも眠ってしまった。
目が覚めてから、
よくこんな窮屈な格好で
寝られたものだと思う。
凝った関節周辺を揉みほぐしながら、
隣の師匠を揺り動かすと、
「どこ?ここ」
と寝ぼけたことを言うので、
唖然としかけたが、
「冗談だ」
とすぐに軽口だか弁解だかをして、
外の様子を伺う。
暗い。
そして、
書庫の本棚が黒い壁のように
視界を遮る。
先へ行く師匠を追いかけて、
手探りで進む。
息と足音を殺して、
本の森の奥へと。
(続く)図書館 2/2