猿神様からの酒の奢り
これは、杣人に聞いた話。
※杣人(そまびと)
杣木を切ったり運び出したりする人。きこり。
仕事に就いてまだ間もない頃、山の中で酒の匂いを嗅いだという。
鼻をひくつかせながら匂いを辿ると、やがて液体を溜め込んだ木の洞(ほら)を見つけた。
指に漬けて、恐る恐る舐めてみる。
「酒だ。こんな所に酒が出来てる!」
手で掬って一口呑んでみた。
美味い。
先輩の杣人へ伝えに行くと、こう言われた。
「一杯おこぼれ与ったんなら、それで終わりにしておけ。それは猿酒といってな、この山の猿が拵(こしら)えてるって話だ。猿は猿でも、大物の猿神様だ。ちょっとなら目こぼししてくれようが、大っぴらに盗ると罰当てられるぞ」
諫(いさ)められはしたものの、あの味が忘れられず、帰り際にもう一度寄ってみた。
しかし、記憶にあった部分の木には肉が盛り上がり、洞は綺麗に失せていた。
「俺が酒好きなモンだから、猿神様が自慢がてら一杯奢ってくれたのかな。畜生、もう一口呑んどきゃよかった」
そう言って残念そうに、だけど嬉しそうに彼は笑っていた。
噂では今でも時折、御裾分けに与る幸運な杣人がいるという。
下戸である私に酒を語る資格はないかもしれないが、そんな場所にある液体を平気で口に含むという彼らの行動は、どう考えても理解不能である。
(終)