他人の死をお恵みだと言って喜ぶ文化
これは、海専門の民俗学教授から聞いた話。
海難法師だとか海の向こうから流れてくるモノを忌み恐れる風習というのは農耕民族的な考え方で、本来は漁民から発した価値観ではないらしい。
むしろ、漁民は古来、漂流して来るモノは全て海神からの授かり物として歓迎するのが一般的だった。
例えばそれが水死体であっても。
流れ仏(ナガレボトケ)
水死体のことを『流れ仏』といって、漁中に漂流死体を見つけると、漁師は作法に従って船に引き揚げて陸地へ持ち帰り、手厚く葬ると大漁をもたらしてくれるので、これに出会うととても喜んだという。
中には、流れ仏を拾った事を他の漁民に言わず秘密裏に弔って、漁獲を独り占めにしようとする者もいた。
陸に流れ着いた死体を、恵比寿様(漁業の神)と呼ぶ地域もある。
漂流死体はヒトとしての形状が崩れていて、死体の中でも特に醜い姿をしているため、御霊として強大な霊力を持っているのだそう。
他にも、死者の身に着けていた物を船に持ち込むと大漁になるだとか、船霊のご神体であるサイコロを人が首を吊った木から作ると良いだとか、他人の死をお恵みだと言って喜ぶ文化が各地の漁村に点々と残っている。
農耕民族がもつ、集団社会的な性格が根付いてる今の日本人からすると、「他人の死を喜ぶって自分さえ良けりゃいいのかよ」と少し利己的に映るが、稲作技術が入ってくる前の古代日本人の間では、こういう考え方が主流だったのではないかと。
あとがき
漁師という仕事をしている以上、自分も一つ間違えれば水死体になる立場である。
その”自分の水死体”が何処かの島や村に流れ着いた時、「うわっ!水死体!キモい!!捨てろ!捨てろ!!」となってしまうのは誰しもが嫌だ。
だから、彼らにとって水死体は“明日は我が身”という事情から、丁寧に供養してあげていたのではないだろうか。
それを自分の子供や周りに伝えるための方便が『流れ仏』だったのではないだろうか、と想像する。
(終)
諸星大二郎の世界だな。
うちの近所はどちらかと言うと海の町だから
「漂着物は恵み物」
と言うのは良く解る。