「一緒に行こうや、なぁ？」

 

これは命の危機まで感じた、怖くて愛しい体験話。

 

寝ていると、明け方に“金縛り”にあった。

 

よくあるので気にせず眠ろうとしたが、どこからか“低い声のお経”が聞こえてきた。

 

それがうるさくてうるさくて眠れない。

 

必死に金縛りを解こうと、指先に神経を集中させる。

 

指を動かし、腕を振り、金縛りを解く。

 

お経も止み、台所にいる母の声やテレビの音が聞こえてきた。

 

私はほっとして、壁の方へ寝返りを打とうとした。

 

だが、ギョッとして再び固まってしまう。

 

壁から何かが出てくる。

 

丸い、肌色の、ツヤツヤしたもの。

 

下に突起がある。

 

ガリガリの両腕らしきものも出てくる。

 

クネクネと壁から這い出ようとするソレは、丸いものをゆっくりとこちらへ向けた。

 

突起は鼻だった。

 

坊主頭で、目にどす黒い隈のある男のようだ。

 

「なぁ…、なぁ…、行くか？行ってもいいか？」

 

さっきのお経と同じ低い声。

 

坊主か僧侶だと感じた。

 

「一緒に連れて行くか？一緒に行こうや、なぁ？」

 

誘われているのだろうか。

 

そうやっと気づいた私は、目の前の数十センチにいるソレに、なんとか声を振り絞って言った。

 

「い…、い…、かない」

 

ソレは、私の顔を覗いた。

 

だが、その時のソレの顔は覚えていない。

 

たぶん気を失ったから。

 

笑ったのか？怒ったのか？

 

恐ろしい顔だったのは確かだ。

 

しかし数ヵ月後、またソレが現れた。

 

私は死を感じていた。

 

おかしな汗が流れる。

 

明け方に目を覚ますと、ソレはベッド脇にある椅子に座り、私と目が合うのを待っていた。

 

「さぁ、行こう？一緒に行こう？」

 

死ぬんだ…。

 

逃げられない…。

 

そんな気がした。

 

ソレは、ずっと待っている。

 

「行こうな？行くよな？さぁ、早く」

 

その時、ソレの後ろに何かがいた。

 

見覚えのあるような、紫色のジャージ姿の何か。

 

俯いていたから顔は見えなかった。

 

（行かない！行かない！）

 

声が出なかった。

 

二人もいる…。

 

もうダメなんだ…。

 

諦めかけた時、バタン！と部屋のドアが閉まった。

 

三人目か！？

 

目を移すと、二人ともいなくなっていた。

 

しかしなぜか少し淋しくて、悲しくて、胸が痛かった。

 

それから数週間後のこと。

 

教え子が闘病の末、亡くなっていたと連絡があった。

 

彼は優しくて純粋で、卒業しても塾に遊びに来ていた。

 

いつもニコニコとしていた。

 

彼がよく着ていたジャージは紫色だった。

 

あの時、彼が私を救ってくれたと信じている。

 

いつか「ありがとう」と伝えたい。

 

（終）