ずぶ濡れのレインコートの男
3年前の12月の出来事です。
赤坂離宮の近くのホテルで
忘年会をしていた私たちは、
宵の内から降り出した雨のせいで、
二次会に出掛ける気にもなれず。
空いていたそのホテルの一室に
宿泊しようと部屋を取り、
そこで二次会をすることになりました。
しかし、仲間の内の一人は
人形町まで帰ると言い、
友人だった私ともう一人が、
そいつを車で送ることになりました。
私は助手席に乗り、
帰宅者は後部座席に乗り、
もう一人が運転席に。
外は雪混じりの雨で、
ワイパーも心許ない様子でした。
ホテルを出て
100メートルも行かないうちに、
前方に何かが見えました。
間近まで進んでやっと、
それが人間だと分かるほど
視界は悪かったようでした。
30歳くらいの男で、
襟を立ててレインコートに身を包み、
ずぶ濡れのまま立っていました。
その男が手を挙げたわけでは
なかったのですが・・・。
あの寒い中、
ずぶ濡れで立っている人を
見過ごすのは、
あまり良い気持ちでは
ありませんでした。
私が言う前に、
運転手はその男の前で車を止め、
窓を開け、
「車の来そうなところまで
乗っていったら?
場所によっては
乗せていきますよ」
と話しかけました。
その男は日本橋まで行く、
とのことでした。
日本橋は人形町への
行き道だったので、
後ろのドアを開け、
入れてやりました。
後部座席の友人は
既に深い眠りに入り、
その男が入ってきたことには
気付いていないようでした。
男は酔っているのか、
ほとんど声を出さず、
軽く頭で礼をしました。
濡れて垂れ下がった
額に張り付いた前髪の下から、
大きな目を見開いたまま、
身動きすら、しませんでした。
せっかく暖まってきた車内も、
男のせいですっかり
冷え込んでしまいました。
ヒーターの温度を最大にしましたが、
大して変わりませんでした。
すぐに日本橋に着き、
大通りの橋のたもとで、
その男は言葉少なに礼を言い、
車を降りました。
再び人形町に向けて
車が動き出し、
後ろを振り返りましたが、
後ろのガラスは曇っていて
何も見えませんでした。
人形町に着き、
友人を起こすと、
座席が濡れていることと、
車内の異常な寒さに、
少し機嫌が悪い様子でした。
友人を降ろし、今来た道を
ホテルに向けて戻りました。
途中、あの男を降ろした
日本橋のたもとを通りましたが、
その男は見当たりませんでした。
赤坂離宮の門を過ぎて
左に曲がり、
ホテルまであと少しというところで、
前方に何かが見えてきました。
雪混じりの雨でそれが何かを
判断するのは困難でしたが、
ちょうど少し前に
あの男を拾った辺りでした。
確かにそうでした。
さっきと全く同じところに、
さっきと同じ男がレインコートを着て、
ずぶ濡れで立っていました。
減速しかけていた車を一気に走らせ、
男の真横を通り過ぎました。
顔を確かめなくても、
それがさっきの男であることを
二人とも悟っていました。
ホテルに着き、
駐車場でようやく
口をきいた私たちは、
次第に暖房が効き始めた車内で、
「信じるか?」
「信じるったってあれは、」
と困惑し、
運転手の友人は何かを振り切るように、
クラクションを思いっきり鳴らしました。
(終)