営業マンの建前と本音の落差

営業マン

 

俺は小売業で、いわゆる『バイヤー』をやっていた。

 

簡単に言えば、メーカーから品物を安く仕入れる仕事だ。

 

仕入れ値が安ければ、その分儲けは多くなる。

 

簡単な理屈だが、メーカーも儲けの為にはなかなか仕入れ値を下げない。

 

そこを何とか、あの手この手で下げさせるのがバイヤーの手腕であり、俺も随分とメーカーの営業を泣かせてきた。

 

「これだけ仕入れてるんだから、お宅以外にも取引先は沢山ある。この値段で出せないなら、もう取引停止だ」などと、かなり強気にやってきた。

 

そんなやり方だったから、俺と商談する営業の中には、身体を壊したり精神を壊したりする者も結構いた。

 

担当が変わる度、新しい担当がオドオドした目で俺を見てくるのが不愉快でもあり、苦痛でもあった。

 

そんな中で唯一、俺の強気な商談にいつも調子良く答えてくれるTさんという営業がいた。

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一番怖かったのは、霊よりも・・・

他社が逃げ出すような値段でも、ちょっと考えただけで「分かりました!」と快諾してくれるTさんは、俺にとっても非常に有難い存在だった。

 

Tさんとの付き合いは長く、仕事を離れて飲みに行ったり、互いにお中元やお歳暮などを贈り合ったり、今では数少なくなった「古き良き付き合い」をしていた。

 

そんなTさんが、ある時こんな事を言った。

 

「取引先メーカー内で、俺の存在が日に日に煙たくなっている」、と。

 

Tさんは長い付き合いもあってか俺に同情的だったが、担当がころころ変わっている他のメーカーは、俺のやり方にウンザリしているとの事。

 

俺は、「日頃から言われている事だ」と笑い飛ばしたが、商談の最後にTさんが神妙な顔で「気を付けた方がいいですよ」と、俺に言ったのが印象的だった。

 

それから程なくして、実害が出始めた。

 

俺の家に嫌がらせの張り紙や、無言電話がかかって来るようになった。

 

妻は社内結婚ということもあって、俺のやり方は分かっており、それに対する嫌がらせだということも理解していた。

 

張り紙を剥がし、無言電話は無視するかすぐ切る、という冷静な対応をしてくれた。

 

だが・・・ある夜帰ると、妻の顔色がすぐれない。

 

「ポストを見てきて」と、微かに震えた声で言う。

 

何事かと思いポストを見ると、『血塗れの塊』が入っている。

 

何かの内臓のような肉片だった。

 

俺は嫌がらせにしては度が過ぎると思い、次の日に出社すると片っ端から取引先に電話をした。

 

営業たちは慌てて否定していたが、犯人がこの中にいることは明白だった。

 

信頼のおけるTさんにも内容を話し、取引先同士の横の繋がりから、犯人の目星を付けてもらうよう依頼した。

 

Tさんも乗り気で、「探偵ごっこみたいで楽しそうですね」などと、のん気なことを言っていた。

 

電話口で全員に対して犯人扱いをし、「金輪際こんな嫌がらせはするな!」と、キツク言い放った俺だったが、その後も嫌がらせは終わる気配が全くなかった。

 

毎日のように商談で俺に会いに来るTさんの方でも、手掛かりは掴めていないようだった。

 

業を煮やした俺は、玄関に小型のビデオカメラを設置した。

 

植え込みに隠すように設置し、テープの時間の目一杯まで録画した。

 

映っていればしめたもの。

 

動かぬ証拠として、犯人を呼び付けてテープを見せつけてやるつもりだった。

 

そしてカメラを設置した翌日、録画されたテープを再生していた俺は信じられないものを見た。

 

顔はよく見えないが、見覚えのあるネクタイが映っていた。

 

そのネクタイは、その日の商談でTさんがしていたものだった。

 

歳のわりに若いデザインで、「もう若くないんだぞ」と、からかった記憶がまざまざと蘇ってくる。

 

信じたくない気持ちと裏切られた気持ちで、俺はTさんとの商談を迎えた。

 

Tさんは変わらずいつもの調子で笑いながら、「手掛かりはまだ掴めない」などと言っている。

 

俺は堪えきれず切り出した。

 

ビデオカメラを設置していた事、人影が映っていた事、ネクタイに見覚えがあった事。

 

Tさんはそれらを聞いた後も、いつもの調子を崩すことなく笑っていた。

 

「そうですか」、と。

 

俺はその様子に堪らなく不気味なものを感じ、Tさんをそれ以上問い詰めることが出来なかった。

 

「Tさんの上司から今回の件についての説明をするように」、と言うのがやっとだった。

 

Tさんは笑いながら「分かりました」と答え、去っていった。

 

それから2週間、Tさんとは音信不通になった。

 

Tさんの上司が後任と思われる若い営業を連れ、菓子折りを持ってやって来たのは3週間後だった。

 

上司は、俺との挨拶もそこそこに土下座した。

 

「大変申し訳ありません」、と。

 

俺はまだTさんに裏切られたショックが癒えず、激昂する気力も無かったので、ただ説明を求めた。

 

なぜTさんは俺に嫌がらせをしたのか。

 

毎日のように顔を合わせていて、それなりに信頼関係もあったはずなのに。

 

そして、上司の口から説明をするよう求めたのに、3週間も待たされたのは何故なのか。

 

これらの事を話していると、見る見る上司の顔色が変わってきた。

 

後任の営業も言葉を失っている。

 

訝しげにその様子を見ていると、上司は「これから話すことは的外れかも知れませんが・・・」と、前置きした上で話し始めた。

 

その内容を聞いているうち、俺は気が狂いそうになった。

 

そもそも、Tさんは3ヶ月前に俺の担当を外されていた。

 

そして、後任の営業が決まって社内での引継ぎも終わり、あとは俺への挨拶だけ、というところまで進んでいたが、Tさんは頑なに後任を俺に会わせようとはしなかった。

 

「お前じゃアイツの相手は出来ない。アイツは人の皮を被った悪魔だ」と、Tさんは後任に言っていたらしい。

 

そしてTさんは毎日のように無断で外出を繰り返し、2ヶ月前には停職処分となっていた。

 

停職となった後も、Tさんは後任に電話をかけ、俺の元に行かないように念を押していた。

 

後任も、Tさんのあまりの気迫と異様な執着を不気味に感じ、俺に会いに来れなかった。

 

そして1ヶ月前、自宅で首を吊っているTさんが発見された。

 

Tさんの社内では大騒ぎになったが、俺への連絡は後任に任され、後任は後任でまだ俺への挨拶も済ませていない手前、いきなり「Tが自殺しました」と言い出すことが出来ず今日に至った、と。

 

Tさんは担当を外されても、なぜ俺の元へ毎日のように来ていたのか?

 

1ヶ月前に死んだTさんが、なぜ3週間前に俺の家に嫌がらせをし、翌日の商談に現れたのか?

 

今ではもう知るすべは無い。

 

霊なんて信じちゃいないし、たとえ3週間前に現れたTさんが霊であったとしても、それは些細な問題だ。

 

俺が一番怖かったのは、人間の情念と、建前と本音の落差だ。

 

※情念(じょうねん)

深く心に刻みこまれ、理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情。

 

表面上の付き合いを上手くやれる者ほど、その反動として裏の顔が凄まじいものになる。

 

俺は程なくして会社を辞めた。

 

今でも、最後に会った時のTさんの無機質な笑顔をふと思い出す。

 

(終)

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2 Responses to “営業マンの建前と本音の落差”

  1. 匿名 より:

    そう、やったほうは「俺がそれだけ追い詰めてしまったんだ…」とか思わないんだよな。
    自分の取り分増やすのに圧かけておいて『いい付き合い』なわけないって、端から見たら何で気付かないか分からないくらいだけど。

  2. 匿名 より:

    何武勇伝みたく言ってんだこいつ、としか…
    と言うか、良くまあ他の人らと結託の上で、みたいな流れにならなかったな…

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