九年に一度だけ行われる儀式
母方の実家がある集落には、九年に一度だけ行われる儀式がある。
前もって選ばれた子供数人とそのお付の人たちが、普段は入山禁止の山に入ってとある儀式をするという風習だ。
そして、選ばれる子供とお付の人は女性限定。
その儀式を、地域では『おまつり』と呼んでいた。
ちなみに、「まつり=祭」ではなく、「祀」の字を当てるらしい。
村中の穢れを押し付ける
おまつりというと、屋台が出て花火なんかも上がったりして賑やかな雰囲気を想像すると思うが、これは全然違う。
日の高いうちから家の軒先に提灯を吊るし、日が落ちてきたら家の明かりを全て消して、その提灯のロウソクに火をつける。
完全に日が暮れると、子供とお付の人が行列になって各家を回り、提灯に灯った火を彼女らが持っている提灯に移していく。
「もらい火」といえば良いだろうか。
そして儀式中は、子供は巫女装束を着ている。
聞いた話によると、全ての家を回った行列は山の中に入り、途中にある広場のような所で儀式をするという。
儀式の詳細までは分からないが、提灯の火に木で作った人形を翳(かざ)し、その人形を広場に掘られた穴に落とす。
それを全ての家の分やり終えたら、長い呪文のようなものを唱える。
その後、子供とお付の人たちは山を降り、集落の外れにある集会所で一晩を過ごすという流れだそうだ。
その山には大きな穴があり、『よくないものの溜まり場がある』との言い伝えが集落にはあった。
そのよくないものは、昔から度々山から下りて来ては里に禍(わざわい)をもたらすもので、簡単に言えば他人の不幸とかそういうのが大好きで、それを餌にしているらしい。
しかし、そんな悪戯心のようなもので里に禍をもたらされたら困るからと、時々こちらからその「餌」を集めてよくないものを鎮める必要があった。
それが、この『おまつり』というわけだ。
家の明かりを全て消して提灯に火をつけるという行為は、どうやらその家に溜まった九年分の穢(けが)れを一箇所に集めるという意味合いらしく、一部の例外を除いては、提灯以外の明かりをつけていると物凄く怒られる。
行列ともらい火は、その家の穢れを一時預かる代表者ということだ。
要するに「人柱」だと爺ちゃんが言っていた事があった。
※人柱(ひとばしら)
ある目的のために犠牲になる人のこと。
今でこそ人形でやっているが、大昔は選ばれた巫女様一人に村中の穢れを押し付けての人身御供だった。
※人身御供(ひとみごくう)
人間を神への生け贄とすること。
だからそのおまつりでは、同時に巫女様の「鎮魂の儀」も行われるという。
余談だが、選ばれた子供の家はその後の数年間、集落での役員や面倒事を免除される決まりになっている。
おそらく、誰も引き受けたがらないからそういう俗なルールが出来たのだろう。
昔はもっと別の恩恵があったのかもしれないが。
(終)
怖くもなんともねーよ!赤い靴野郎の話だろ。バカバカしい。生きてる人間の方がよっぽどエグいこと考えてるから怖いね。