化けて出てくれたっていいだろうに

高齢者の手

 

祖父曰く、この世で最も怖いのは祖母である。

 

私が生まれる前の話。

 

ある時、祖母は朝からタケノコを採りに山へ入った。

 

随分と調子よくタケノコが集まり、ほくほく顔で帰ろうとしたところ、気づけば辺りが霧に包まれている。

 

おや?と思いながらも帰途についたが、なかなか集落が見えてこない。

 

ははあ、これはキツネか、ムジナか。

 

なんにせよ、化かされているな。

 

そう気づいた祖母は、背負っていたタケノコの籠を下ろすと、クワを構えて「おう!」と霧に向かって怒鳴った。

 

「どこのどいつか知らねえけんど、おらを化かすっちゃあ、えーえ度胸だあ!おらぁここらじゃ名の知れた猟師の嫁だで!それが獣に負けたとあっちゃ名が廃る!見てろ!尻尾ちょんぎってくれっからなあ!」

 

そう言ってブンとクワを振り回すと、霧は恐れをなしたかのようにサーっと引いていったという。

 

またある時、祖母の夢枕に立つ者があった。

 

それは数日前に亡くなった近所の女性だった。

 

祖母とは茶飲み友達で、生前はとても仲が良かったという。

 

「おう、何しよっとるか。おめえ、死んだろうが。何をこんなとこに残っとる。ちゃっちゃと川渡らんとダメだでに」

 

そう言ってみたものの、幽霊はそこに立ち続けている。

 

祖母はムゥっと顔をしかめ、怒鳴りつけた。

 

「おう!さっさと逝かんか!あんま迷っちると、おめえ、ただじゃおかんで!こうして、こうしっちるで、覚悟しとけど!」

 

ブンブンと拳を振り回す祖母に恐れをなしたのか、幽霊はササっと消えてしまった。

 

「ばばちゃはなあ、あれは、怖いもんがなかったんだなあ」

 

私が小さい頃、祖父は何度もそんな風に言っていた。

 

祖母は私が生まれる前に亡くなっている。

 

だから私は祖父の語る話でしか、祖母のことを知らない。

 

「むかーし、まだちいこい頃にな、神様のところにお嫁に行けっち言われた時も、そりゃあもう暴れて暴れてなあ。神様のお社行って、ボロクソに怒鳴りまくっとったで。結局、お嫁に行くっち話はパアになったでな」

 

「代わりにじじちゃのとこにお嫁に来たんだね」

 

「そうだで。ありがてえやら恐ろしいやらで、祝言挙げる間、震えっぱなしだったなあ」

 

祖父の語る祖母は、いつも強く、怖いものなしだった。

 

迷いがなく、堂々とした有り様の人だった。

 

湿っぽい話など、ひとつも聞いたことがない。

 

「ばばちゃはなあ、死ぬ瞬間までそんなだったで。最後まで怒ったり笑ったり、忙しくっちなあ。そんでぽっくり逝っちまった。ろくにお別れもできんかった。あれっきり、化けて出てもこねえで。一回くらい化けて出てくれたっていいだろうに

 

涙まじりにそんなことを言っていた祖父は、その数年後に亡くなった。

 

川の向こうで再会はできただろうか。

 

ただ、さっぱり化けて出てこない祖父のことを思うと、なぜか少し笑ってしまう。

 

(終)

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