幽霊をよく見ていたおばあちゃんの話
これは、幽霊をよく見ていたおばあちゃんの話。
私のおばあちゃんは色々とやらかす人で、なかなかに我が道を進んでいる。
おばあちゃんは子供の頃からよく幽霊を見たらしく、私が小さい頃からよく幽霊の話を聞かせてきた。
例えば、近所の寝たきりのおばあさんと道ですれ違って「アレ?」と思っていたら、そのおばあさんがその時間に亡くなっていた、という話。
尋常小学校にあった出ることで有名なトイレを使ったら、案の定出くわして、ようようそのトイレが使用禁止になった、という話。
そんな話をたくさん聞かされた。
※尋常小学校(じんじょうしょがっこう)
明治維新から第二次世界大戦勃発前までの時代に存在した初等教育機関の名称のこと。
ドライな我が婆
そんなたくさんのおばあちゃんの話の中で私が一番記憶に残っているのが、おばあちゃんの友達の話。
ありがち感もあるのだが・・・。
それはおばあちゃんが子供の頃のこと。
おばあちゃんは大きな農家のお嬢様で、もちろんお金持ちだし、戦時中でも食べ物に困ったことがなかったという。
日本史で習う、戦時中の苦しい暮らしの真逆を地で行く人だった。
そんな暮らしなもので、習い事もお花や踊り、唄など、ちょっとお高いものだったらしく、また子供の頃から一緒に習い事をしていたサチコさん(仮名)というお友達がいたらしい。
サチコさんは唄、おばあちゃんは踊りが得意で、よく二人で部落(これはおばあちゃん自身の言い方)の宴会で大人たちに披露していたそうな。
おばあちゃんの話しぶりから、おそらく女学校の頃か、それよりも後か、サチコさんが入院したらしい。
その頃、おばあちゃんの家には戦争で亡くなった人が帰ってきたりして、なかなか幽霊が煩かったらしく、その夜も木造の廊下で無人なのに足音が聞こえたりしていて、おばあちゃんも「またか」程度に思っていた。
しかし、その足音はだんだんと大きく近くなり、ついにはおばあちゃんの部屋の中に入ってきた。
ミシ、ミシと、おばあちゃんが寝ている蚊帳の周りをグルグルと歩き回る音が聞こえたが、姿が見えない。
すると突然、「カズコちゃん、カズコちゃん・・・」と名前を呼ばれた。※おばあちゃんの名前を仮に「カズコちゃん」とする。
その声に聞き覚えがあるおばあちゃんは、ハッとして「サチコちゃん?」と聞くと、「うん・・・。カズコちゃん、私唄うから、カズコちゃん踊ってね」と返ってきた。
おばあちゃんは「えっ!?」と思っていると、サチコさんの唄が聞こえてきたそうで。
その時のおばあちゃんは眠くて、「あぁ、ついにサチコちゃんポックリ逝ったか・・・」程度にしか思わなかったようで、踊ったと一言も言わないあたり、そのまま放置して寝たのだろう。
なんともドライな我が婆である。
翌日、病院から電話があっておばあちゃんが出てみると、なんとサチコさんの声が聞こえたそうだ。
「カズコちゃん、久しぶり!昨夜カズコちゃんのお家で、私が唄ってカズコちゃんが踊る夢を見たのよ!楽しくて、なんだか懐かしくなっちゃって電話しちゃった!」
そんなサチコさんに対し、おばあちゃんは心の中で「なんだ、生きてたのか」と思ったそうな。
なんともドライな我が婆である。
とっぴんぱらりのぷう。
※とっぴんぱらりのぷう
物語の締めの言葉として使われ、 意味は「めでたし、めでたし」。
(終)