川べりで拾った古い携帯電話 1/2
なかなかの昔の話になります。
なぜ今さらこの話を公言しようかと
思い立ったのか。
自分でも分かりかねますが、
恐らくその時と同じ時期だからでしょう。
数年前、高校生の私は親に反抗し、
隣の県の大学を選びました。
なぜそういった行動に出たかといえば、
ちょうどその大学付近の父方の祖父宅が、
無人になったのが大きな要因でした。
つまり、私は格安で独り暮らしを
謳歌したかったのです。
祖父宅が無人になったといっても、
私が小学生の頃に祖父母は沖縄に家を買い、
引っ越したからであって、
別に誰かが化けて出るわけでもありません。
それに、
私は霊感が全くないのです。
たとえ私のすぐ横で幽霊が何かを囁こうが、
私は気付かないでしょう。
現に私は、友達皆に口を揃え、
校庭に右半身だけの血まみれの女が
浮いていると言われても、
全員が泣き出すまでは
冗談だと思っていましたし、
その女の前で下手なリフティングさえ
披露しました。
さて、
小学生の頃の記憶ではありますが、
川辺の高台の上に建った豪勢な家は
とても涼しく、
憧れを抱かせるに十分な広さがありました。
母と父は消極的でしたが、
渋々ながら私の独り暮らしを認め、
祖父母も快く快諾してくれました。
私は少しの私物と、
母方祖父母から預かっていた
老猫を引き連れ、
我が家に初の凱旋を遂げました。
やはり県外の大学とあって
交友関係など全くの白紙ですから、
数日はそこそこの苦労はありました。
家に帰ると、3階まで上がり、
丸型の大きなガラス窓の下に敷いた
布団へ横になり、
即寝る。
そういった生活が続き、
やっと馴染み始めた頃、
連れてきた猫の様子が
おかしい事に気付きます。
地下も含め4階建てに相当する建物は、
全ての階にキッチンとトイレ、
バスルームがあり、
客室として利用される部屋には
ユニットバスが付いています。
そのため、
私は3階と玄関以外に長く居る事は
ほとんどありませんでした。
しかし、
猫は念入りに家の境界を確かめては、
じっと何もない空間に何かを見ているのです。
そうして、
するりと開けられた窓から出て行き、
いつの間にか帰っているのです。
気味が悪い、
という思いは湧きませんでした。
猫とはそういう生き物ですし、
この猫は元々変なところがありました。
何せ、祖母と母の話では、
この猫の母猫が、
死ぬ間際に連れてきた野良子猫だそうで、
そもそもコイツが私にとっては
多少不思議な友達だったのです。
ですから、
私は特に何も気にしていませんでした。
もしも家の中を埋め尽くさんばかりに
怨霊がいたところで、
私は何一つ気にしなかったでしょう。
そんなある日、
私は珍しい一昔前の携帯を拾います。
今でこそ中学生でも持っていますが、
あの頃、あの田舎では、
大学生になり、
やっと持てるかの物だったのです。
しかも、一昔前の機械です。
未だカメラが付いていないタイプで、
汚らしく、塗装が所々剥げ、
雑草と思わしき物が絡みついていました。
それを、私は川べりで拾ったのです。
普通なら、そんなところに
携帯が落ちているはずもありません。
だから私は首を傾げ、
電源を入れようとしました。
しかし、
当たり前の様に電源は入りません。
ディスプレイは真っ暗なまま、
私はひっくり返して
バッテリーパックを取り出しました。
そうすると、
少し水が流れ出ました。
ショートしたのかな、と思いつつも、
私はそれをどうにかして電話帳データだけでも
落とし主に届けたいと思いました。
一昔前の塗装の剥げたものを、
わざわざここまで汚らしくなるまで
使っていたのなら、
これは余程大切な物に違いないと、
そう思ったからです。
私は家にそれを持ち帰ると、
充電しようと試みました。
しかし、
その携帯はどうやら他社製で、
私はわざわざ最寄りのコンビニまで
10分ほど車で走り、
充電器を買いました。
どうしてそこまでしたのかは、
今となっては分かりませんが、
私はそうせずにはいられなかったのです。
帰ってくると、夜でした。
私は夕食を作り、
風呂に入ったあと、
ふと忘れていたことに気づいて、
靴箱の上のその携帯を取りました。
そして、
買い物袋から充電器を取り出すと、
コンセントに繋ぎました。
そうして充電器に繋ぎ
赤いライトが灯った時の喜びは、
何とも形容し難い物でした。
独善的ではありますが、
誰かを少しでも救えるのだという確信が、
脳髄を痺れさせるような喜びを湧き起こし、
とてつもない善行を行ったような
高揚感が訪れました。
つまり、
きっと私は幼かったのです。
だから、
この携帯を自分の手で落とし主に
渡したいと思ったのでしょう。
その裏には警察などを通さず、
ただ自分の身が賞賛され感謝されたい、
そんな欲望がありました。
今感じた様な喜びと高揚感を、
落とし主の感謝の言葉とともに感じたい
という様な、
そんな欲があったのです。
私は無心で、
赤いライトを灯した携帯を開きます。
ライトを塞ぐように添えた
右の人差し指が赤くなって、
血の様だと思ったのを今でも思い出します。
親指に力を込めて電源のボタンを押したのを、
よく覚えています。
左手をディスプレイに添えていたのを
覚えていますし、
起動までの十数秒が
長く感じたのを覚えています。
そして、
電源がついた後の、
全身の皮膚が粟立つような感覚を、
こうして書いているあいだも、
ありありと感じます。
今ではデスクトップと呼ばれる場所に浮かんだ、
未送信メール数が異常でした。
発信電話数も異常でしたし、
電波の三本線がゆっくりと回復した瞬間、
私の掌を飛び出し、
床で震動し始めたそれに舞い込む、
着信メール数と着信電話数も異常でした。