ずっと母親だと思っていた人が実は・・・
俺は物心ついた時から片親で、父親の詳細は分からないままだった。
幼少期に母親から虐待を受けていて、夕方5時から夜9時までは、いつも家の前でしゃがんで母親が風呂に入って寝るのを待っていた。
ボロアパートの2階だったので、階段下でずっと待っていた。
暑くても寒くても、とにかく5時から9時頃までは待つのは辛かった。
でも、家に入ると母親に殴られるので外に居た。
9時になると母親は寝るので、こっそりと家に入り、朝まで押入れの中で眠った。
朝の3時頃に母親は家を出て行くので、それから起きて家にあるご飯を食べた。
母親は仕事をしていたのか不明だが、一応給食費だけは出してくれていたので、平日は給食が唯一のまともなご飯だった。
母親は夕方4時55分には必ず家に帰ってきた。
男を連れて来る時もあった。
その男も同じ様に、俺に躾(しつけ)と言いながら殴る蹴るの暴力を振るっていた。
そんな日々が俺の小学校生活における日常だった。
思いもよらない事実をつい最近知った
小学5年生になったある日、学校の友人数人が万引きをして捕まった。
俺は万引きをしなかったのだが、一緒に居た事で注意を受けるために学校に連れて行かれた。
親が迎えに来てぶん殴られる子もいれば、泣きながら謝る親もいた。
俺の親は何度電話をしても迎えに来なかった。
担任は俺と一緒に家に行くと言うが、俺は必死で断った。
母親からの暴力が怖かったから。
なんとか俺は無実だった旨と、親は忙しくて家に夜中にしか帰らないと嘘をついて、注意と担任から母親への文面での報告だけで済むことに。
とりあえず難を逃れたと思ったが、結局帰った瞬間に包丁で手を切られた。
初めて泣き叫びながら死を感じた。
異常だと思ったのか、アパートの住人の誰かが警察を呼んだらしく、数人の警官が駆けつけて母親を取り押さえ、俺はその後に養護施設へ入所することになった。
中学卒業と同時に俺は仕事を探して、今の鳶職という仕事に就いた。
施設の先生は良い人達だったので、今でも繋がりがある。
そして未だにゾッとするのは、俺が母親だと思っていた人が実は「赤の他人」だった事。
あれ以来会っていないが、戸籍上では母親は俺が2歳の時に死んでおり、俺には父親しかいない事が分かった。
父親との面識は一度も無い。
それらの事実をつい最近知った。
ただ、俺は暴力を振るわれようと、貶(けな)されようと、涙を流そうと、耐え続けた。
いつかは・・・いつかは・・・と普通の家族を夢見て信じていた。
母親と呼べる人が他人で、誰かも分からないという事実が正直怖かった。
あの人は誰で、どのような関係があって俺を育てたのだろうか。
極稀に、俺を撫でてくれた手の優しさはなんだったのだろうか。
先日、幼少期を過ごしたあの家に行ってみたが、今は誰も住んでいなかった。
だけど、階段下の壁に「まーくん」と削った文字を見つけて、不可思議な同居生活がなんだか虚しく思い出した。
(終)
たった今、報告者に幸せにしかなれない呪いを掛けておいた。
悪いけど、この呪いは死ぬまで解除不可能。
不幸な少年時代を糧に、幸福な家庭を作ってくれよ!
幸せになれるよう、私も祈ってる