かなり腕の立つマタギに襲った最悪の出来事
これは私が中学生の頃に、列車で会って仲良くなったご老人から聞いた話です。
ご老人の住む村は『マタギ集落』と呼んでいいぐらい、多くのマタギが住んでいるそうです。(今現在はどうなっているかは分かりません)
※マタギ
東北地方・北海道から北関東、甲信越地方にかけての山岳地帯で、古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指す。(Wikipediaより)
山の事に精通し、大きな熊と相対するマタギは度胸も人並み以上なのですが、そんな彼らでも怖れる存在があり、それは『普通と違う熊』なのだそうです。
普通と違う熊というのは三種類ほどおり、それぞれに名前があったと思いますが、『全身真っ黒な熊』、『全身真っ白な熊』、『通常のサイズよりずっと大きな熊』なんだそうです。
掟に従ってマタギを辞めたが
信心深いマタギ衆の方々は、それらを山の神様の化身として畏(おそ)れ崇めていて、山で出会っても絶対に撃ってはいけない、万が一仕留めてしまった場合はマタギを辞めなければならない、との事です。
そう話した上で、ご老人は自分の村で起きた話をしてくれました。
彼の村にはその昔、一郎さん(仮名)という方がいました。
村でも指折りの、かなり腕の立つマタギだったそうです。
ある日の事、一郎さんが仲間と共に山へ行くと、ちょうど良い所にツキノワグマがいたので、すかさず仕留めました。
喜び勇んで仕留めた熊に駆け寄った一郎さんですが、熊の胸元を見て、彼の顔色がサッと変わりました。
ツキノワグマなら胸元に必ずあるはずの、白い模様が無かったのです。
「そんなバカな。必ずどこかに白い毛があるはずだ」と、必死に探す一郎さん。
しかし、ただの一本も白い毛は見つかりませんでした。
結局、彼は掟に従い、マタギを辞めました。
マタギを辞め、農業に精を出す事にした一郎さん。
しばらくは新しい仕事も順調で、何事もありませんでした。
ですが、さらにしばらくすると、妙な事が起き始めました。
一郎さんが夜に家に居ると、何やら匂いがして息遣いも聞こえます。
元マタギの一郎さんは、すぐにそれが熊のものであると分かりました。
しかし、家の中や周囲を探しても熊はいません。
また、ある時は一郎さんの畑にだけ、熊の足跡が沢山残されていた事もありました。
別の日の夜、一郎さんが夜道を歩いていると、後ろに気配がしました。
振り向くと、そこには仁王立ちになった熊が・・・。
胸元には白い模様がありません。
「あの熊だ・・・」
こんな事が続いて、一郎さんはすっかり人が変わってしまいました。
恐怖を払拭する為か、お酒の量も増え、酔うと延々あの熊の話をします。
「アイツは俺を許してないんだ。俺はいつか必ずアイツに殺される」
そして、とうとう最悪の事が起きます。
ある日の夜、やはりお酒を飲んで酔っていた一郎さんは、何やら訳の分からない事を叫んだかと思うと外に飛び出し、そのままいなくなってしまいました。
村の人達は手分けをして探しましたが、一郎さんは影も形もありません。
しかし数日ほどして、村のすぐ近くを流れる川で釣りをしていた子供が一郎さんの遺体を発見しました。
見つかった一郎さんは川岸の岩に腰掛けて、一見すると座ったまま眠っているんじゃないか、という状態で亡くなっていたそうです。
また岩の周囲には、熊の足跡と毛が沢山残されていました。
余談ですが、一郎さんを発見した『釣りをしていた子供』が、私にこの話を聞かせてくれたご老人その人です。
私自身は、本当に熊の幽霊が出たかどうかは分かりません。
けれど、一郎さんに付きまとう『熊の影』は、多くの村人も見ていたそうです。
そうなると、やはり山には人間の知識や常識が通用しない何かがあるのではないか、と思えてきます。
(終)