正月の餅つきは1月15日以降となった村
これは、うちの田舎のおばあさんから子供の頃に聞いた話。
おばあさんの実家はS県の県庁所在地の山のある方にあるのだが、室町時代か戦国時代の頃に、その付近を治めていた殿様がいたそうだ。
ある秋の終わり頃、他国との境界に戦に出ることになり、殿様は村の領民にこんなお触れを出してから出陣した。
「今度の戦は長くなりそうだ。正月前に帰って来れるか分からない。もし我が軍が正月を過ぎて帰って来れない場合、正月の餅つきはしてはならん。帰国するまで餅つきと餅を食べる事は禁止」
だが、殿様の軍勢は正月を過ぎても帰国する事はなく、正月も10日ほど過ぎてしまった。
約束事を守らなかったせいで
結局、村の領民の一部は殿様の帰国を待つことができず、餅つきを始めて食べてしまいだした。
その後、ようやく15日になって殿様の軍勢が帰国した。
だが、お殿様は合戦で討死してしまい、殿様自身は生きて帰国はできなかった。
また軍勢の帰国前に餅つきをした家にも、特にお咎めはなかった。
しかしその年の秋の収穫の時期に、不思議な事に帰国前に餅つきをした家だけが凶作になった。
村人たちは「お殿様との約束事を守らなかった罰が当たった」と噂した。
それ以来、その村は殿様の約束事を守るという意味で、正月の餅つきは毎年1月15日となった。
時は下って、うちのおばあさんが子供の頃の昭和の初めになっても村の掟というか言い伝えは生きていて、正月の15日に『餅つき初め』だったそうだ。
だが、一部の村人は「もうそんな古い時代の言い伝えは無視して、普通に元旦から餅を食べよう」と言い出す人も出始めた。
うちのばあさんの実家は大昔から山をいくつか持ち、田畑を他人に貸す庄屋の家柄だったそうで、大昔の殿様の合戦の時も軍勢が帰国する前に餅つきはしなかったと伝えられていた為、昭和になっても言い伝えを破ろうとはしなかった。
しかし、言い伝えをほとんどの村人が破り、15日より前に餅つきをした人が出た年に大事件が起こった。
その年の冬に、ある家の馬小屋から火災が発生し、風も強風であっという間に火が家々に燃え移った。
村どころか、隣の市内の広範囲が焼け落ちる大火事になってしまった。(この大火事は市の歴史年表にも記載されている)
うちのばあさんの実家はというと、何故かその付近だけ風の向きが違い、周囲の家が焼け落ちても火事にならずに済んだそうだ。
結果として村の言い伝えは生きていたという事になり、その後はその村(今は市に合併)の人々は殿様のお触れの言い伝えを守り、餅つきは1月15日以降となっているという。
あとがき
地元の図書館で歴史の本などで調べてみた。
おばあさんの実家の村を治めていた殿様の城跡の説明などから、私的な解釈としては、「おそらく南北朝時代に殿様は南朝方で、北朝方についた武将との合戦に出陣したのでは」と思う。
また、平常時に大福や餅を食べるのは問題ないのではないかとも思った。
殿様の立場としては、「領民領地の平和と安全を守るため合戦に行ったはずが、領民が先に正月祝いの餅つきや餅を食べることは許されない」という考えだったのではないだろうか。
余談になるが、おばあさんの実家に連絡して聞いてみたところ、今は昔と違って道路も整備され、スーパーなども近くに出来た環境にもなり、普通に大福や餅も購入しているそう。
ただ、正月だけは餅つき等の言い伝えを守っているという。
(終)