タクシーでの帰宅途中の踏切にて
これは、取引先の渡辺さんから聞いた話。※仮名
その日は接待で遅くなり、自宅の最寄駅までの電車が終わってしまった為、とりあえず行ける所まで電車で行き、タクシーを捕まえて自宅に向かった。
話好きな運転手さんと世間話をしながら自宅近くの踏切に差し掛かったところで、タイミング悪く踏切の遮断機が降りてしまった。
渡辺さんはお酒も入り尿意を覚えていた為、なんで終電が終わっているのに踏切が閉まるんだよとイラつきながらも、大人しく後部座席で遮断機が上がるを待っていた。
すると、保守点検用の専用車輌がゆっくりと通過して行き、警告音も止み、ランプも消え、さて踏切が開くかなと待っていたら…。
いつまで経っても遮断機のバーが上がらない。
街路灯の薄明りの中、寝静まった街中でタクシーのアイドリングの音だけが吸い込まれていく。
「あれ?故障ですかねえ」
渡辺さんが苦笑混じりに運転手さんに話かけると、「どうですかねえ。でも何か引っかかってるんですかねえ」と、運転手さんも苦笑混じりに答える。
「ごめんなさい、ちょっとオシッコ我慢できなくて、そこの草むらで用を足してからバーを持ち上げるんで踏切渡っちゃってもらえます?」
「ああ、そうですか。本当はマズいんですけど、終電終わってますよねえ。じゃあ、ちょっと試してもらえますか?」
ということで、渡辺さんはタクシーを降りて用を済ましてから、遮断機のバーを持ち上げようと下から両手を掛けた。
ちょっと力を入れると少ししなる。
なんとか動きそうだとグッと力を入れると、少しだけ上がった。
これなら上がるだろうと、ヨシ!ともっと力を入れた。
しかし急に重くなって、ガタンとバーが元の位置に戻ってしまった。
あれ?なんでだ?
渡辺さんは頭を捻りながらグッと力を入れて持ち上げようとするが、今度はピクリとも持ち上がらない。
あれ?おかしいな?と思いながらも、タクシーを待たせているので悪いと思い、何度も持ち上げようと悪戦苦闘し続けたが、やはり上がらない。
その時、クラクションの音が短く響いた。
運転手さんが痺れを切らしたのかと思い、「ごめんなさい。あとちょっとなんで」とタクシーの方を向いて言う。
すると運転席側の窓が開いていて、そこから運転手さんの右手が出てくるや、違う違うと言うように掌を横に振っている。
渡辺さんは「え?何?どうしました?」と言いながらタクシーに近づくと、運転手さんが目を見開いて、凄い勢いでおいでおいでと手を動かしている。
「お巡りさん来ちゃった?」
そう聞くと、運転手さんが「いいから早く乗って乗って!」と、窓から顔を出して搾り出すような声で言う。
只事ではないと思った渡辺さんは、急いで後部座席に乗り込んだ。
そして、ドアが閉まるのを待ち切れないくらいの勢いで運転手さんはバックで発進し、少し道路が広くなった所で切り返すと、踏切が見えなくなる所までタクシーを進めた。
「どうしたの?お巡りさん通りかかった?」
少し落ち着いた感じの運転手さんにやっと声をかけると、運転手さんはこう言った。
「お客さん、本当に見えなかった?本当に?
いやね、お客さんが踏切のバーを持ち上げようとしてる時にね、小学生くらいの男の子がそのバーの先の方でね、ぶら下がるようにしてたんですよ。
こんな夜中におかしいなと思ったんですけどね、まあこんな時間でも出歩く子供がいないわけじゃないし、邪魔になったらお客さんが声かけて帰すだろうと思って見てたんですよ。
そしたらお客さん、気がつかないみたいで。私、あれ?と思って見てたら、その子供が笑いながらお客さんの方に近付いて行くじゃないですか。ニタ~っとした嫌な笑い方で、バーを両手で抑えて。
それでね、これはマズい奴だと気がついて、ここにいちゃいけないと思ってお客さん呼んだんですよ。
本当に見えなかったんですか?あれ?」
渡辺さんは驚きながらも、「そうなの?いや、全然バーが動かないからおかしいと思ってたんだけど、そんな子供なんて見えなかったよ?でも呼んでくれてありがとう」と答えた。
すると運転手さんは、「いえいえ。でも、見えなくて良かったのかもしれませんね。あんな気持ちの悪い笑い顔の子供が近くにいたら、私なら正気でいられないと思いますよ」と、低い声で言った。
(終)