母娘の二人が温泉宿で見てしまったもの 2/2

温泉

 

娘は静かに下を向いていた。

 

ただ、たまに、

しゃくりかげるのが聞こえる。

 

「ほら、もう大丈夫だから、

ね、もう出よう」

 

母の優しい声に諭され、

娘はゆっくり顔を上げた。

 

よかった・・・

 

心の底からそう思い、

母の方を見た。

 

母の後ろ。

 

熱い湯の入った、

小さな湯船。

 

そこに居た!

 

髪の長いあの女。

 

熱くて入れるはずなんかない

湯船の中に。

 

湯船一杯に、

自分の髪を浮かべて。

 

顔を鼻から上だけ出して・・・。

 

娘を見て、

ただじーっと見つめて。

 

そしてニヤリと笑った。

 

「ギャーァ!」

 

娘は絶叫して、

母にすがり付いた。

 

母は娘が何を見てしまったのか、

知りたくなかった。

 

寄り添う娘の肌は、

冷え切ってしまっている。

 

「もう出よう、

おかしいもの。

 

歩けるでしょ?!」

 

そう言いながら、

娘を立たせた。

 

早く、早く。

 

もどかしくなる。

 

水の中がこんなに

歩きづらいなんて。

 

それでもなんとか

湯船を跨いで、

 

洗い場に出た。

 

娘は顔を覆ったままだから、

足元もおぼつかない。

 

出てしまえばもう大丈夫、

ふと安心感が沸いてきた。

 

母は最後に、

湯船を返り見てしまった。

 

そこには・・・

あの女が立っていた。

 

長い髪から水をポタポタと

垂らしていた。

 

下を向いたまま

立っていた。

 

窓一杯のところに

立っていた。

 

ここで母はまた、

背筋を寒くする。

 

立てるはずなんてない。

 

窓と湯船の境には、

 

肘をつくのがようやくの

スペースしか無いのだから。

 

浮いてる?

 

そう言えば、

女の体は微かに揺れている気がする。

 

湯煙でよく分からない。

 

母も叫び声を上げてしまった。

 

二人は駆け出した。

 

体なんか拭いてられない。

 

急いで浴衣を身に着けると、

 

自分の持ち物もそのままに

廊下へ飛び出し、

 

一番手前にあった寿司バーに

駆け込んだ。

 

「なんかいる!

 

なんかいるよ、

お風呂に!」

 

娘は大声で、

板前さんに叫んだ。

 

最初は怪訝そうな顔で

 

二人の話を聞いていた

板前さんも、

 

次第に顔が青冷めていった。

 

板前「その話・・・

本当なんですよね?」

 

「こんな嘘ついたところで

どうにもなんないでしょ!」

 

娘はバカにされた様な気がして、

思わず怒鳴りつけてしまった。

 

それに母も続けた。

 

「私も確かに見て

しまいました。

 

本当です・・・」

 

母のその一言を聞いた板前は、

どこかに電話を掛けた。

 

しばらくすると、

 

ここの女将さんらしき女性が

やって来た。

 

少し落ち着きを取り戻した

母と娘の二人は、

 

なにか嫌な事があったのだな、

と直感した。

 

女将さんは軽く挨拶をすると、

ゆっくり話し始めた。

 

5年程前、

 

一人の女がこの旅館に

やって来た。

 

髪の長い女だった。

 

なんでも、

ここで働きたいと言う。

 

女将は深刻な人手不足からか、

すぐに承諾した。

 

しかし、

女には一つだけ難点があった。

 

左目から頬にかけて、

酷いアザがあったのだ。

 

失礼だが、

接客はしてもらえない、

 

それでも良い?

と女将は聞く。

 

構いません、

 

女はそう答え、

この旅館の従業員となった。

 

女はよく働いた。

 

それに、顔の印象からは

想像出来ないほど、

 

明るい性格であった。

 

ある時、女将は女に

アザの事を聞いてみた。

 

嫌がるかと思ったが、

女はハキハキと教えてくれた。

 

ここへ来る前に交際していた男が

大酒飲みだった事。

 

その男が悪い仲間と

付き合っていた事。

 

酷い暴力を振るわれていた事。

 

その時に付けられた

アザなんです、

 

女は明るく答えてくれた。

 

そんな生活が嫌になって

逃げて来たんです。

 

そう言う女の顔は、

 

アザさえなければ

かなりの美人だったらしい。

 

それからしばらくして、

 

三人のお供を引き連れた男が

この旅館にやって来た。

 

そして、ある従業員に

写真を突き付けた。

 

「こいつを探している」

 

あの女だった。

 

もちろん「知らない」と答えて

追い返した。

 

しかし小さな温泉街、

きっと分かってしまうに違いない。

 

そう考えた女将は、

 

方々に手を尽くして

女を守った。

 

しかし、女は恐怖で

精神が参ってしまった。

 

あんなに明るかったのに、

ほとんど口を聞こうとしない。

 

女将は心配したが、

女は大丈夫と言うばかり。

 

ある日、定時になっても

女が出勤して来ない。

 

電話にも出ないし、

部屋にも居ない。

 

結局、どうにもならないので、

無断欠勤という事にしてしまった。

 

ところが・・・

 

「大変、女将さん大変よ!」

 

何事か、

 

従業員に連れられて

向かったところは、

 

風呂場だった。

 

そこに彼女は居た。

 

窓の外、

 

向かって右に立つ

大きな松の枝に、

 

首を吊っていた。

 

急いで降ろしてやったが、

すでに死んでいた。

 

悲しい事に、

 

おそらく女は死ぬ前に

髪を洗っていたようだ。

 

自慢の髪だったのだろう。

 

まだシャンプーの匂いが

漂っていた。

 

不吉だという事で、

その松は切り倒された。

 

髪の巻き付いた

長いロープと一緒に、

 

寺で燃やしてもらった。

 

女将「それで・・・

 

彼女がぶら下がっていた

場所というのが、

 

お客さんがその『何か』

ご覧になった場所だったんです」

 

女将さんはそう言いながら、

母の目を見つめていた。

 

(終)

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