船乗りの網元に伝わっていた不思議な話 1/2
母に最近起こった不思議な話。
母の実家では、
今は皆が陸で働いているけれど、
男は船乗りになる者が多かった。
母は6人兄姉弟妹の次女で、
下から二番目。
伯父さん達3人も、
若い頃は船に乗っていた。
次男の毅伯父さんは、
結婚して直ぐに事故で奥さんを亡くし
子供もいなかったので、
船が港に入ると、
外国のお土産を沢山持って
家に遊びに来た。
ある時、
伯父さんとテレビを見ていると、
日本のタンカーが東南アジアで
戦闘機に銃撃された、
というニュースが流れて来た。
この事件で乗員が被弾して、
死んだか重傷を負った。
その頃、
伯父さんもタンカーに乗っていたので、
父や母もかなり心配な様子だった。
伯父さんは、
「人間、死ぬ時は死ぬ。
海の上で事故に遭っても、
助かる時は助かるし、
陸の上でほんの些細な事で
命を落とす事もある。
人の生き死には、
人の力ではどうしようもない」
と言った事を俺に語った。
そんな話をしているうちに、
人間は死んだらどうなるのか、
魂や死後の世界はあるのか、
という話題になった。
伯父さんは母の実家に伝わる、
ある話を聞かせてくれた。
祖母の父や兄達も船乗りだった。
一度船に乗ると、
帰って来るまでの長い間、
音信は途絶え、
航海は危険と隣り合わせだった。
祖母は『勘』の鋭い人だったらしい。
子供だった祖母は、ある時、
航海に出ようとする兄を、
泣いて引き止めたそうだ。
兄は幼い祖母に言った。
「兄ちゃんは必ず帰って来るから
心配するな。
もし、船が沈んだとしても、
必ず帰って来る。
帰って来たら、
お前の足を『くすぐる』から、
風呂と飯の用意をしてくれ。
兄ちゃんが帰って来るまで
良い子にしているんだぞ」
祖母の兄が出航して何ヶ月か経った。
もうすぐ船が帰って来る、
そんなある日。
祖母は誰かに呼ばれたような気がして、
布団の中で目が覚めたそうだ。
そして、目が覚めた瞬間、
布団の中で誰かに足の裏を
くすぐられたのだという。
祖母は「兄ちゃんが帰って来た」と、
まだ真夜中だというのに、
兄に言われた通り、
風呂と食事の用意をしようと、
床を抜け出した。
床を抜け出して動き回る祖母を
家の者が咎(とが)めると、
「兄ちゃんが帰って来たから、
風呂と飯の支度をしないと」
と答えた。
普通なら、
「夢でも見たのだろう。
早く寝なさい」
とでも言うところだろうが、
家の者の皆が起き出して、
仏間で仏壇に手を合わせたそうだ。
元々は網元だった祖母の実家では、
※網元(あみもと)
漁網や漁船を所有する漁業経営者のこと。
海で亡くなった人が家族の足を
くすぐる話が伝わっていた。
祖母の父や兄達、
俺の母や伯父達も、
この話を聞いて育ったそうだ。
明け方頃、
祖母の家の戸を叩く音がした。
兄の乗る船が沈んだ事を知らせる電報だった。
幼い頃、タンカー事件をきっかけに
初めて聞いたこの話を、
俺は母からも、
伯父や伯母からも繰り返し耳にした。
田舎に行った折りに
祖母にも訊いてみたが、
祖母はこの話をあまり
したがろうとはしなかった。
やがて俺も大人になり、
この不思議な話も記憶の片隅に
追いやられていった。
母には弟がいた。
末っ子の靖叔父さんだ。
3人の伯父達は船乗りになったが、
靖叔父さんは大学を出た後、
警察官になった。
警察官として勤務していた叔父さんは、
ある日に突然失踪した。
叔父さんの失踪には
不可解な点も多かったが、
生死も不明なまま、
20年以上が経過していた。
俺に靖叔父さんの記憶は無いのだが、
祖母や母は叔父さんの事で
心を痛め続けていた。
財産の整理などの必要もあって、
叔父さんは失踪宣告を受け、
法律上は「死んだ」ことになっていた。
だが、
祖母は叔父さんが生きていると
信じていたようだ。
叔父さんの行方を捜して
方々に手を尽くし、
霊能者にまで相談していたそうだ。
霊能者によると、
靖叔父さんは「生きている」
ということだった。
靖叔父さんは祖母の夢枕に度々立ったが、
いつも祖母に背を向けていた。
霊能者の話によれば、
夢枕に立った人が背を向けているのは、
その人が生きている証拠らしい。
祖母は叔父さんの心配をしながら、
10年ほど前に亡くなった。