囚人に掘らせたというトンネル
10年ほど前の話になるが、就職したばかりで俺は会社の寮に入っていた。
当時つるんでいた先輩や友人らと計4人でドライブへ出掛けることに。
先輩の車で。
行った先は、東北のM市から秋田に抜ける峠道。
新道はバイク乗りが集まっているところだったが、先輩が向かった先は旧道の方だった。
そこは洒落にならない道だった・・・。
かなりヤバイ目に遭っていた
舗装していないどころか、藪だらけで前も禄に見えない程の車一台通るのがやっとの道。
よりによって先輩は、愛車のスカイラインで豪快にそんな道を走らせた。
登った先にはトンネルがあった。
岩をそっくり刳(く)り貫いたようなトンネル。
時間にすれば午前1時を回っていたと思う。
以前から『囚人に掘らせたトンネルがある』という噂は聞いていた。
ライトに照らされたモヤが動くと、まるで沢山の人が動いてるように見えた。
俺は早く戻りたかったが、Uターンなんか出来る広さではない。
トンネルを抜けてこの道を進むしか道がないし、先輩は車をトンネルに入れた。
先輩や友人は「おっかねえ~」とはしゃいでいた。
俺はそれどころではなかった・・・。
なぜなら、モヤが車の中まで入り込んでいる。
信じられないくらいの湿気が体に纏わり付き、ベタベタとしている感じで体も動かせない。
はしゃいでいる周りを見ながら、早くまともな道路に抜けて欲しいと思っていた。
トンネルを抜け、藪の中を抜け、やっと車は国道に戻った。
気分もいくらか楽になり俺は一息ついたが、考えが甘かった。
県境を越えると、国道は川に沿って走る形になる。
しばらく走ると脇に『吊橋』があり、先輩は車を止めると言った。
「肝試しするべ」
冗談じゃない!と思った。
あんたの運転と、さっきのトンネルで十分肝試しじゃん!
そう言いたかったが、周りの雰囲気を壊したくなくて黙っていた。
先輩と友人一人が細い吊橋を渡り始めた。
“根性あるなあ”と関心した。
ここは結構自殺者が出ているところだった。
俺ともう一人の友人は車に残って先輩らを見ていた。
臆病者と言われたけれど・・・。
友人はどうだったか知れないが、俺にはぼんやりと見えていた。
橋を渡ってこちらを見ている先輩らの横に、もう一つの影が並んでいた。
先輩らは最後まで気付かなかったようだが・・・。
この日はこれで終わった。
何事もなく。
それからしばらくして、先輩が車で事故をした。
車は大破したが、幸い怪我は無かった。
懲りずにまたスカイラインを買ってしまうくらいに。
ただ・・・、そのすぐ後に先輩の親父さんが亡くなり、先輩は仕事を変えなければならなくなった。
事故の借金や親父さんの葬式で金がかかったみたいで。
先輩と吊橋を渡った友人の一人は死んだ。
バイクの事故だった。
外傷は無かったが、事故のショックで心臓麻痺起こしていた。
そして病院に担ぎ込まれてしばらくして・・・。
元々このバイクは、俺が友人に譲ったものだった。
譲った直後に友人は事故で死んだ。
バイク事故で死亡のニュースが報道された時、知り合いは俺の事だと思ったらしい。
もしかすると、友人は“俺の身代わり”になったのかも知れない。
向こうの親に合わせる顔がなかった。
もう一人の友人は、肺気腫で仕事中に倒れて入院するハメに。
とうとう俺はノイローゼ気味になり、行方をくらました。
挙句の果てには自殺未遂まで。
今の俺からは想像もつかないが・・・。
どこまで”あの肝試し”が関わっていたのか分からないが、あの夜から僅か半年の間にこれだけの事が起こった。
今でも俺の手首には、薄っすらとリスカの痕が残っている。
後日談
この肝試しの直後、俺は寮を出てアパートに移った。
ちょうど友人がバイク事故を起こした直後だったかな。
俺がノイローゼで姿を消す前後の話だ。
隣の部屋は同僚だったが、俺の部屋の前を通る度に「なんでこいつ線香なんか焚いてんだ?」と思っていたらしい。
もちろん俺は線香など焚いていない。
今は常備しているが・・・。
俺はともかく、先輩や友人はオカルトが好きだったわけでもなかった。
この出来事で俺の人生はかなり変わった。
今は落ち着いているが、かなりヤバイ目に遭ったんだと思う。
そして、ちょうどこの頃だった。
母方の家系(叔母二人)が”拝み屋をやっている”ことを知ったのも・・・。
両親は俺が小さい頃に離婚していたからだ。
霊の類を頻繁に見るようになったのも、言われてみるとこれがキッカケだった気がする。
(終)
以前霊障に随分悩まされた。助けてくれる人探したけど見つけられず。身内に拝み屋は羨ましい!
自分視点で書いてるはずなのに、「俺が行方をくらます」「俺が姿を消す」って表現はちょっとおかしくね?
行方をくらましたとか自分で書くと説得力が一気になくなります。