コトリコゾウ 2/2
小学3年の春に東京に引っ越してきた俺は、その後ずっと東京にいて、広島県には全く帰っていなかった。
(今でも広島県には婆ちゃんや親戚は住んでいるが、俺自身はあまり交流はない)
数年前にオカルト系まとめサイトを読んでいると、『コトリバコ』の話が目に付いた。
読んでいる時は何とも思わなかったが、数日後にタバコを吸いながら、「そういうえばコトリバコって”子取り箱”って書くんだよなぁ。島根県っていうから広島県と近いよなぁ」なんて思っていると、ピン!と来た。
「あれ?昔、親から脅された小鳥子象って、俺が勝手にそう思っていただけじゃ・・・。コトリコゾウ・・・“子取り小僧”ってことか?」
その瞬間、背筋がゾクッとした。
いや、まさかな。
でも、島根と広島は隣だし、当時俺が住んでいたところは広島県の外れの地方で、島根県との県境も近い。
何か関係あるのか?と思い、翌日親に電話で聞いてみた。
「コトリコゾウって子取り小僧ってことか?それってどういう話なんだ?」
「あぁそうよ。あんたよく覚えてるねぇ。A地方(広島で住んでいた地方)に伝わる話らしいよ。でも詳しいことは私も知らんわよ」
結局その時は、子取り小僧のことはよく分からなかった。
それから数ヶ月後、たまたま仕事で広島県に行った俺は、2日ほど休みを取ってレンタカーで昔住んでいた住宅タウンに行ってみることにした。
カーナビでなんとか辿り着いたその住宅タウンは、昔とほとんど変わらない。
いや、むしろ地方経済不況の波でゴーストタウンに近かった。
当時住んでいた家はもちろん今は他人の家だが、外観自体はそのままで懐かしく、その家の前で車を降り、しばらく周りを散歩してみることにした。
すると目に入ったのがM子の家。
M子の家も当時と全く同じ外観だった。
M子はもう当然結婚してどこかに嫁いでいるだろうから実家にはいないと思うが、俺のことはまだ覚えているだろうか?
そういえばお別れも何も言わずに引っ越してしまって悪いことをしたな、とそんなことを思いながら、M子のお母さんがいれば話を聞けるかもしれないと思い、思い切ってM子の家の呼び鈴を鳴らしてみた。
「はーい」と出てきたのはM子のお母さん。
俺がなんて説明しようか迷っていると、お母さんが「あら?もしかして・・・Sちゃん?(俺の名前)」と言ってくれた。
「まぁ懐かしいわねぇ、大きくなって。あがっていきなさいよ。お茶でも飲んでいって」ということで、家の中に通してもらった。
「でもまぁどうしたの?突然に」
「いや、仕事でこっちの方に来たのでつい懐かしくなって」
しばらくは俺の近況報告になったが、話が一段落したところで切り出した。
「M子ちゃんは今はどうしてるんですか?」
「・・・・・・」
無言なまま5分くらい経っただろうか。
下を向いたまま何も話そうとしないM母。
俺も少し「何かまずいことを聞いたんだろうか・・・」と後悔し始めた頃に、やっとM母が語り出した。
「Sちゃんは・・・まだ小さかったから何も分からなかったのよね。で、すぐに東京に行ったから知らないままだったのね・・・」
俺は訳も分からずポカーンとしていると、M母が全てを教えてくれた。
以下はM母の話だ。
方言は標準語に直し、話はもっと長かったが、ある程度要約をしていることを先に断っておく。
また人権問題の微妙な話も含まれたので、その辺りは割愛する。
◇◇◇◇◇
M子がまだ1歳の頃の話よ。
その頃はまだこの辺りはこんなに開けてなくてね。
山の中の小さな村で、この辺りは今でいう「同和」っていうの?要は部落があったのよ。
部落の話はSちゃんもある程度は知ってるわよね?
で、ある時、この辺りを開発するってことで県のお役人がやってきて、私たちと県のお役人で大喧嘩が始まったのよ。
私たちとすれば、この土地でこれからもずっとひっそりと暮らしていきたいのに、そんな新興住宅タウンを造るなんてとんでもない!と。
そこで、村の男達が毎晩集まって相談をしていたのね。
この地方にはね、コトリコゾウ様っていう言い伝えがあって、生まれて2歳までの女の子を生贄としてコトリコゾウ様に差し出すと、物凄い力で憎い相手を退けることが出来るって言い伝えがあったの。
私たちももうここ何十年もそんなことはずっとしていなかったんだけど、村の長が「コトリコゾウ様に生贄を差し出す」って言い出してね。
そしたら村の男達も「それしかない!」ってことになったのね。
その時、村には2歳までの女の子はM子しかおらず、結局白羽の矢がM子に立ったわけ。
そりゃ、私やお父さんは大反対したわ。
でもね、結局は長には逆らえず、泣く泣くM子を生贄としてコトリコゾウ様に差し出したわ。
裏にG山ってあるでしょ。
あの山の頂上に社があるんだけど、Sちゃんも行ったことあるでしょ?
あの社にはコトリコゾウ様が祀られているの。
長が泣き叫ぶM子を私たちから奪ってG山に連れて行ったわ・・・。
でも結局、その後すぐに開発計画は決まって、この辺り一帯は大きく変わったわ。
当然、部落もその時に全て壊されてね。
元々住んでいた私らは、この土地に残る者、県が用意した他の土地に越して行く者、色々だったわ。
結局、コトリコゾウ様なんてただの言い伝えだったのよ・・・。
Sちゃん達がここに越して来たのは、町がオープンしてすぐの頃だったわよね。
◇◇◇◇◇
ここまで聞いて、俺はもうパニックだった。
「嘘でしょ?だ、だって俺小さい頃、M子ちゃんと遊んだりしてましたよ?この家にも何回か遊びに来て、お母さんもいましたよね?」
上ずった声で必死にM母に問いかけた。
そして、またM母が語り出す。
◇◇◇◇◇
えぇ、そうね。
SちゃんはよくM子と遊んでくれてたわね。
私はね、Sちゃんが近所で一人で遊んでる姿をよく見かけたわ。
また一人でSちゃんがうちにあがってきて、M子のためにと空けてあった部屋でずっと遊んでいたわね。
私らにはね、M子の姿は見えないんだけど、うちのお父さんと「あぁ、SちゃんにはM子のことが見えてるんだね。M子も遊びたい盛りの年頃だ。Sちゃんには悪いが、しばらく付き合ってもらおう」って話してたの。
そして、ある頃からSちゃんがそうやって一人で遊んでる姿を見なくなったわ。
これは後から聞いた話なんだけど、○○小学校の1年生って毎年G山に遠足で登るんですってね?
Sちゃんも行ったんでしょ?
これは私の推測なんだけど、SちゃんがG山の社に行ってくれたおかげで、多分M子も成仏したんだと思うわ。
大きくなったらSちゃんにはきちんと話そうと思っていたけど、すぐ東京に行ってしまったでしょ?
お父さんも私もそのことだけが気がかりだったけど、今日こうして話せてよかったわ。
M子のお墓は××の近くにあるの。
もし時間があったらお墓参りしてくれると嬉しいわ。
◇◇◇◇◇
もう、俺は涙目。
自分はずっと霊感なんてこれっぽちも無いと思っていた。
いや、むしろ霊とかそんなものは絶対にいないと思っていた。
理系出身なので科学が全てだと思っていた。
だけど、この話を聞いた時には涙が止まらず、ただM母の話を頷いて聞き、そしてM子のお墓参りをして東京に帰ってきた。
最近になってようやく、この事の整理が自分の中でついてきたので書いてみようと思った。
有名な”コトリバコ”と”コトリコゾウ”に関連があるのかどうかは分からない。
また、今でもM母の話が本当の事かどうかは俺にも分からない。
自分の記憶の中では、M子は確かに存在していた。
遠足の途中で握っていた手の温もりは、しっかりと覚えている。
そもそも、俺の初恋って・・・。
(終)
これは名作