その池には何故かバスが居つかない
これは、知り合いの身に起きた話だ。
彼曰く、まだバスの放流が違法ではなかった時代の事らしいが、バスフィッシングにひどく熱を入れていたという。
友人に誘われたことがきっかけでハマってしまい、終には自分の持ち山にある池にもバスを放流しようと企んだ。
休日になると余所からブラックバスを釣ってきて、せっせと自分の池に放す。
そんなことを何ヶ月も続けたという。
しかし、何故かその池にはバスが居つかない。
いつまで経っても、確認できるのは小振りなフナの類いだけ。
「妙だな。俺が放したバスすら居ないっていうのは・・・」
そう訝しみはしたが、根気よく放流を続けていた。
そんなある日、遠征がすっかり遅くなり、帰宅した時には既に真っ暗になっていた。
いつものように池に向かい、バスを放流する。
しかし暗闇で目算が狂い、うっかり足を滑らせて胸まで池水に浸かってしまった。
慌てて陸に上がろうとしたが、水草に絡まったのか浮かぶことが出来ない。
必死でもがいていると、誰かが力強い手で彼を掴み、地面の上に引き上げてくれた。
「あ、ありがとうございます」
息を整え、礼を述べてから顔を上げる。
そこに居たのは、全身が蒼黒い藻で覆われた“人型の何か”だった。
目鼻口は確認できず、濡れそぼった端から水が垂れている。
それに、ひどく生臭い。
・・・何だこれ!?
混乱している彼に向かい、ソレはこう言った。
「いや、こちらもいつも世話になっているのでな」
世話をした憶えなどない彼が戸惑っていると、嬉しそうにソレは続ける。
「いつも魚をありがとう。お前さまが持ってきてくれる魚は大きくてよろしい」
その言葉を聞いた瞬間、彼は理解した。
いや、理解してしまった。
この池にバスが居つかない理由を。
「・・・あ、でも残念ながら、魚を持ってくるのは今日が最後になるんです・・・」
彼は必死で頭を働かせ、どうにかそれだけを口にする。
「そうか、それは残念だな。本当に残念だ」
ソレは溜息を一つ吐くと、別れの挨拶を述べてから池の中へ沈んでいった。
その姿が水に没するのを確認してから、へっぴり腰で逃げ出した。
彼はその後、すっぱりとバスフィッシングはやめてしまったそうだ。
さらには件の池に通じる獣道には柵を設け、誰も近寄れないようにしてあるという。
(終)