黒服の人々 3/6
しかし、その時の私には、
そんなことに気を取られている余裕は、
これっぽっちもなかった。
次「そうだなー・・・、
あいつを一番嫌ってんのは、
兄貴か親父だよ。たぶん。
俺はまだ、ほとほとガキだったから、
何がどうしてああなったかなんて、
覚えちゃいないしさ」
正直なところ、
一体彼が何を言っているのか、
私にはまるで分からなかった。
目の前の人間が、まるで
宇宙人のように思えた。
絶対マトモじゃない。
そう思った。
全部顔に出ていたのだろう。
彼はそんな私を見て薄く笑った。
そして、天井近くの壁の方を指差した。
そこには遺影が何枚か掛けられてあった。
白黒の写真の中に一枚だけ
カラーのものがある。
写っているのは、色の白い
三十代くらいの女性だ。
彼が指差してるのは、
その女性だった。
次「あれ、うちのかーちゃん、
なんだけどさ・・・」
彼ら兄弟の母親は、
くらげを生んですぐに亡くなったのだと
聞いたことがある。
長男に続いて部屋の入り口から、
くらげと、くらげの父親が入って来た。
これから葬儀が始まるのだろう。
その時、傍にいた彼がぐっと近寄って来て、
私の耳元で一言ささやいた。
その瞬間、
私の中の時計が止まった。
どんな顔で彼を見たのか、
自分でも分からない。
彼はまた、あのからかうような
薄い笑みを浮かべると、
踵を返し、祭壇の近くの
親族の席へと移っていった。
ふと気が付くと、部屋の入り口に立ったまま、
くらげが私の方を見つめていた。
その顔は、いつも通り無表情で、
これから彼の祖母の葬式をするというのに、
何の感情も表に出してはいない。
彼の言葉がずっと頭の中で、
こだましていた。
こだまなら、壁にぶつかり跳ね返るごとに
その音は弱くなっていくはずなのに、
その言葉は私の脳内で
反響を重ねるごとに、
大きく、強くなっていった。
私は思わず視線をそらしてしまった。
はっとしてもう一度くらげの方を見たが、
その時にはもう彼は私を見ておらず、
自分の席に向かっていた。
『かーちゃん殺したの、あいつだから』
私の耳にこびりついた言葉。
そんなはずはない、
常識的にありえない、
と何度否定しても、
その言葉は私の中で膨れ上がり、
軽い吐き気と一緒に、
胃からせり上がってきた。
とっさに口を押える。
狩衣に烏帽子を被った斎主が
部屋に入って来た。
部屋の中にいる黒服の人々が
その方を向いて礼をする中、
部屋の隅で私だけが体を丸めたまま
じっと動かず、
つい先ほど傷をつけたばかりの唇を、
強く、強く噛んでいた。
私の胸中とはまるで裏腹に、
葬儀はしめやかに進められた。
えらく長く、それでいて、
ほとんど何を言っているか分からない
祝詞などを聞いているうちに、
次男の言葉に混乱していた私も、
次第に落ち着きを取り戻していった。
一度、冷静になって考えてみる。
くらげの母親は、
彼が生まれた直後に亡くなったと
聞いている。
そうだとすれば、
本当に彼が母親を殺したのなら、
首も座らない赤ん坊が、
殺人を犯したことになる。
そんなことはありえない。
けれども、彼が全くの嘘を
ついたようにも思えなかった。
だとすれば、おそらく彼女は、
出産が原因で亡くなったのではないか。
昔よりは医療が充実した現代だが、
ありえない話ではない。
もしもそれが原因だとしたら、彼女の死が、
引き換えに生まれてきた赤ん坊のせいに
されることだってあるだろう。
私の理性は、そう結論付けた。
これ以上の答えは、その時の私には
考えつかなかった。
それでも、何か腑に落ちない、
もやもやとした塊が腹の中に残った。
私の中の誰かが「違うんじゃないか」、
と言っている。
私は、その声を無理やり胸の奥の奥へと
押し込んだ。
するとその代わりに、また、
あのおちゃらけた次男への怒りが湧き起って、
それを鎮めるのにも一苦労がいった。
葬儀の方はすでに、
祝詞から玉串奉奠へと移っていた。
仏式では焼香にあたる儀で、
席順に遺族、親戚、一般という順に
榊の枝葉を受け取り、
霊前に置いていくようだ。
当時の私は神葬祭の経験自体
少なかったので、
奉奠のやり方が分からず、
目を凝らして前の人の動作を観察した。
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