挨拶しても返してこないのは幽霊だ
これは、山で体験したほんのり怖い話。
祖父は山の上の送電線の監視を仕事としており、長年『T山』に登り続けていた。
その為、祖父はT山を知り尽くしていて、休日などはよく祖父を先頭に家族で山登りをしていた。
あれは私が高校生の時のこと。
春の雪解け後に出てくるふきのとうを狙って、祖父と私と弟は一緒にT山を登っていた。
よく言う『山のルール』はやはりここでも存在し、すれ違う人との挨拶は絶対だった。
「挨拶しても返してこないのは幽霊だ」
そう祖父は半分くらい冗談交じりで話していた。
今誰か通ったの?
雪解けの季節とはいえ、まだ雪はあちこちに残っており、それを踏みしめて登っていくので思ったよりきつい。
先頭の祖父は元気にひょいひょいと登っていたが、後ろの私と弟は下を向きながらフウフウ言いながら登っていた。
すると、先頭の祖父が「こんにちはー」と挨拶したので、私たちも「こんにちはー」と言った。
そしてすぐ異変に気づいた。
誰ともすれ違わないのだ。
下を向いていたって足くらいは見えるし、そもそも歩く音が聞こえるはずである。
しかし、足など見えないし、足音も聞こえない。
「ねぇ、今誰か通ったの?」
同じことを思っていたらしい弟がそう聞いた。
「ん、何も通ってないぞ?」
「え、だって今じいちゃん誰かに・・・」
と弟が言いかけたところで、こっちに振り向いていた祖父がキッと山道の前方を睨みつけた。
遠くから熊よけの鈴の音が聞こえる。
微かにだが、複数人のものと思われる足音も聞こえる。
「道を変えよう」
そう言って、祖父は笹の生い茂る獣道へと入っていった。
「え、待ってよー、じいちゃーん」
そう言いながら祖父を追いかけていった弟の後に続く形になった私は、一瞬だけだが前方から来た集団が見えた。
黒い服を着た男性が、なにやら大きな荷物を抱えていた。
その後しばらく獣道を歩いていると、祖父が「今年はふきのとうはやめておこう」と言って、気持ちゆっくりめに山を降りた。
次の日、地元紙を読んでいた祖父が「やっぱりな」と呟いた。
そこには、T山で行方不明になっていた大学生の遺体が、雪が解け始めた谷沢で見つかったという記事があった。
そして祖父はこう言った。
「見つかったのが嬉しくって、魂だけ先に降りて来てしまったんだな。あの時は覚えていなかったが、今はなんとなく覚えている。確かにワシは、あの時に挨拶をしたんだ。そしたら返ってきたんだ、『ただいま』ってな」
(終)