アパートの一室で始めたサイドビジネス

幼虫

 

「信じて下さい、刑事さん。

 

殺すつもりなんて決して

なかったんです」

 

木瀬伸也が逮捕されて

10時間後、

 

ようやく落ち着きを

取り戻した彼が、

 

発した第一声はこれだった。

 

木瀬の話は、

まず彼がここ最近、

 

いかに経済的に

恵まれなかったか、

 

から始まった。

 

数カ月分の家賃を滞納している

アパートの一室で、

 

木瀬は荷物を受け取った。

 

『誰にでも出来る簡単かつ

高収入のサイドビジネス』

 

ラーメン屋で手に取った

週刊誌の広告欄で、

 

彼はこの仕事を知った。

 

『アパートの一室で手軽に。

 

なんとたったの3週間で

現金が手に入る!』

 

広告コピーのこの一行で、

彼は決心した。

 

なんとか掻き集めていた家賃

2ヶ月分を広告主に送り、

 

その荷物を受け取ったのだ。

 

荷物には簡単なマニュアルが

添えられていた。

 

『直射日光に当てないように

気を付けて下さい。

 

充分な湿り気と、

指定の餌を与え下さい。

 

卵から孵化後、

約2週間で成虫となります』

 

釣り餌となるイソメ、

ゴカイ類の養殖。

 

それが木瀬の選んだ

サイドビジネス。

 

いや、

 

失業中の彼にとっては

本職となる仕事だった。

 

なによりも、

 

3週間である程度の現金が

入ってくるのが嬉しい。

 

木瀬の計算では

3ヶ月も続ければ、

 

滞っていた家賃の清算と

借金の返済が、

 

可能なはずだった。

 

木瀬は布団袋を取り出した。

 

業者推薦の水槽にまで

回す金がなく、

 

この中で虫を養殖する

つもりだった。

 

この布団袋は、

 

水を通さないが空気は通す

繊維で作られており、

 

臭いも遮断出来る。

 

苦肉の策ではあったが、

それなりに役に立ちそうだった。

 

荷物の中に入っていたのは、

湿った腐葉土と腐葉土状の餌。

 

そして、

 

ビニール袋いっぱいの卵を

布団袋の中で掻き回した。

 

ゴソゴソと布団袋の中で

うごめく音がした。

 

孵化した虫たちは、

順調に育ってきていた。

 

もう2週間すれば、

 

丸々と太った成虫を

指定の袋に詰め、

 

業者に送り返すだけで

金が入ってくる。

 

木瀬には布団袋からの音が、

 

福の神が振る

打ち出の小槌の音に

 

聞こえたという。

 

後1週間で発送出来る

となった頃、

 

問題が起きた。

 

餌が尽きたのである。

 

業者に発注すればよいのだが、

その金がない。

 

自分の食事さえ満足に取れない

ようになっていたのだ。

 

売る物もない。

 

マニュアルには、

 

『共食いを始めるので餌は

絶対に切らさないように』

 

とある。

 

自分の食べ残しなどを与えたが、

量が絶対的に足りない。

 

出荷までの1週間、

 

自分は絶食しても虫に餌を

与えなければならなかった。

 

近くに住む大家の佐川さんが

木瀬のアパートを訪れたのは、

 

木瀬が絶食して5日目の

ことだった。

 

家賃の催促に来た

佐川さんを見ても、

 

木瀬の表情は変わらなかった。

 

そもそも表情がなかった。

 

目は光を失っており、

顔色も冴えない。

 

絶食中だった為だが、

佐川さんは勘違いをした。

 

(この時、アパートの隣人は、

 

「あんた、変な薬でも

やっているんでしょう」

 

と佐川さんが木瀬に詰問する

声を聞いている)

 

佐川さんの家族から、

 

彼女に対する捜索願いが

提出されたのは、

 

その晩のことだった。

 

「信じて下さい、刑事さん。

 

殺すつもりなんて決して

なかったんです・・・。

 

ただ、大家さんが

変なこと言い出して、

 

ズガズガと部屋に上がり

込んで来たんです。

 

虫の出す音を聞いて、

これは何?

 

これを開けなさいって

布団袋を・・・。

 

俺・・・、マズイと思って。

 

アパートで虫を養殖してる

なんて知られたら、

 

絶対に追い出されると思って・・・。

 

それで勘弁して下さいって

何度も頼んだのに・・・。

 

そしたら大家さんが無理やり

布団袋のジッパーを開けて、

 

中を見た途端に

悲鳴を上げたんです。

 

俺、マズイと思って、

 

飯食ってなくて

頭もボーッとしてて、

 

とにかく喚くのを止めさせなきゃ

ってことしか考えられなくて、

 

後ろから大家さんの

口と鼻を押さえて・・・。

 

それで、

 

静かになった大家さんを

布団袋に入れて、

 

そしてジッパーをまた閉めて・・・。

 

そしたら中のあいつらが

グネグネってうねって、

 

ジュルジュルって音がして・・・。

 

俺、もう何がなんだか

分かんなくて・・・。

 

一晩中、グチャグチャって

音を聞いてたら、

 

おかしくなりそうで・・・。

 

信じて下さい、刑事さん。

 

決して殺すつもりは

なかったんです」

 

隣人の証言から

捜査令状が発効され、

 

木瀬の部屋に捜査員が

赴いたのは、

 

佐川さんが失踪してから

3日後のことだった。

 

寝袋のジッパーを開けた

捜査員の田中純一巡査部長は、

 

それ以来、スパゲッティーを

食べることが出来なくなった。

 

(終)

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