牛の首という話の異説

 

ここから先にお話する内容は、

 

日本人である私達に相当な不快感を

もたらすかも知れません。

 

そしてこの話が事実であるのならば、

我々は既に呪われた民族なのです。

 

現代人の我々にとって

全てが隠された恥であり、

 

忌むべき過去なのです。

 

その真実を知る。

 

このお話をするにあたり、

 

まずは「祟り神」の存在について

ご説明したいと思います。

 

祟り神(たたりがみ)とは、

 

厄病や災いの神様を総称して

祟り神と呼びます。

 

本来ならば畏怖し忌避しなければ

ならない神様ですが、

 

※畏怖(いふ)=恐れおののくこと

※忌避(きひ)=嫌って避けること

 

祟り神が祀られている

神社や地域では、

 

手厚く祀り信仰することで、

 

強力な守護神として守ってくれる存在

とされています。

 

 

簡単に言うと、

 

「そんな神、俺は信じない」

 

という人には、

 

「災いと厄病」をもたらし、

 

「心から信仰します」

 

という人には、

強力な守護がつく。

 

今の時代なら「カルト宗教」的な信仰と

呼ばれてもおかしくないものでした。

 

そんな祟り神の代表格が、

「スサノオ」と「八岐大蛇」です。

 

スサノオ(wikipedia)

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)(wikipedia)

 

詳しく調べると

まだまだ居るそうなのですが、

 

特に多いのが「スサノオ」です。

 

この説は確立されていませんが、

神仏習合の土着信仰により、

 

スサノオは「牛頭天皇」と

同一であるとされ、

 

主に農村などで盛んにこれに関係する

社が作られていました。

 

明治維新の神仏分離によって、

 

日本神話のスサノオを

仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は、

 

徹底的に弾圧されるまで、

日本全国で存在していたそうです。

 

それでは本題に入ります。

 

牛頭天皇に関する最古のお話。

 

「その昔、

 

牛頭天王が老人に身をやつして

お忍びで旅に出た時に、

 

とある村に宿を求めた。

 

この時、

 

弟の巨丹将来は裕福なのに

冷淡にあしらい、

 

兄の蘇民将来は貧しいのに

優しく迎え入れてもてなした。

 

※蘇民将来(そみんしょうらい 蘇民將來)

 

そこで牛頭天王は正体を明かし、

 

『近々この村に死の病が流行るが、

お前の一族は助ける』

 

と、のたまった。

 

果たせるかな、

死の病が流行った時、

 

巨丹の一族は全部

死んでしまったのに、

 

蘇民の一族は助かったという」

 

簡単に説明すると、

 

人間の身体を借りた旅の途中で、

 

ある兄弟の家に「泊まらせてくれ」

と言ったところ、

 

弟は裕福なのに冷たく追い返し、

兄は貧乏なのに粗末ながらもてなした。

 

そこで、

この牛頭天皇は病を流行らせて、

 

兄の一族は助け、

弟の一族を皆殺しにしました。

 

本当にとんでもない神様です。

 

この牛頭天皇(スサノオ)

 

その名前の通り、

牛の様な頭をしていました。

 

角が生えた夜叉のようだった

という説もあります。

 

神様のお話はここで中断して、

いよいよ過去に何が行われていたのか?

 

ここからはあくまで仮説ですので、

そのつもりで読んでください。

 

特定の地域になるので、

場所は伏せておきます。

 

近年、ある遺跡で牛や人骨が

出土されました。

 

これは「雨乞い」の儀式で、

 

農耕において貴重な労働力である

牛や馬を生贄として捧げていたもの、

 

と考えられています。

 

日本書紀における

皇極天皇元年記述などでも、

 

642年に牛馬を殺し、

生贄として捧げる儀式があり、

 

実際に6世紀末から

7世紀にかけて、

 

考古学上の資料として、

牛馬の骨が発掘されています。

 

この事から考察するに、

 

日本民族は「生贄を捧げる儀式」を

行っていたと推測されるのです。

 

では、何の神様に

捧げていたのでしょうか?

 

儀式の形態は様々ですが、

 

明治以前に盛んだった牛頭天皇の

土着信仰があった場所の近くで

 

出土する事が多いのです。

 

もちろん、

 

文明的な生活を送っていた人は

ほんの一部であり、

 

大都市と呼ばれる場所にいた人たちは、

この儀式に関与していません。

 

問題は、

 

人口の大多数である農民が

この儀式を行っていた、

 

という可能性が高い事です。

 

では、どのような儀式が

行われていたのか?

 

まず一つ目です。

 

明治初期になるまでは、

医療制度が確立されていませんでした。

 

「病」は鬼の仕業と考えられ、

「災い」の一つだったのです。

 

先ほど紹介しましたが、

疫病などは「祟り神」、

 

つまりは、

 

牛頭天皇の怒りに触れたと

考えられていた、

 

と考察出来ます。

 

そこで、

牛頭天皇に捧げる儀式として、

 

人間の首を撥ね、

 

頭に牛の首を乗せた人間を

使った儀式が行われていた、

 

という可能性があります。

 

これは、

 

出土した骨の位置からの

推測です。

 

二つ目は、

飢饉における儀式です。

 

これも、

 

祟り神が及ぼす災厄の一つとして、

考えられていました。

 

雨乞いを捧げる対象は

明確にされていませんが、

 

牛頭天皇であると推測したならば、

多くの符合点が見つかります。

 

有名な牛の首の話が事実であると

仮定するならば、

 

「人間に牛の首を被せ食べる」

 

という発想がなぜ生まれたのか?

 

それは元々そのような儀式を行い、

飢餓の限界にあった為、

 

ついでに「食べる」という行為が

行われていたのではないでしょうか?

 

「罪悪感を減らす為」

 

というだけでは根拠が薄いと

僕は思うのです。

 

最悪の可能性を考えると、

儀式においても、

 

牛の首を被せた人間を

食べていたかも知れません。

 

そして、

明治初期に行われた、

 

牛頭天皇の土着信仰への

徹底的な弾圧行為。

 

これは、

 

文明的な日本にする為の「儀式の隠蔽」

ではないでしょうか?

 

20世紀初頭にかけて失われた

牛の首の話は、

 

呪われた行為をしていた

知られざる日本人のお話・・・

 

なのかも知れません。

 

あなたのご先祖様が、

 

「人の肉を食べる習慣」

 

があったのなら・・・。

 

(終)

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One Response to “牛の首という話の異説”

  1. 匿名 より:

    お前だけだよ

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