親戚の家に仏壇が二つ並んでいるワケ
親戚の家には仏壇が二つある。
向かって左側がその家の亡くなった爺さんで、右側が若くして亡くなったその甥のものだという。
ただ妙なことに、お盆にお邪魔しても右側の仏壇は扉が閉まったままなのだ。
なにより、かさばるのになぜ二つ置いているのか気になったので、尋ねると親戚が話してくれた。
甥の死とそれぞれの事情
爺さんは消防勤務で活発な人だった。
人助けも大好きで、余計なことにまで首を突っ込むような、ある意味、人の良いお節介者だったらしい。
その爺さんには可愛がっていた姪と甥がいて、よく近所の川に連れて行っては遊んでやっていたそうだ。
上流に雨が降った為か、急に水嵩が上がって姪が溺れかけた際には自ら飛び込んで抱え、向こう岸に無事引きあげた。
姪や家族が喜ぶ一方で、甥が「自分もー」とせがんだ。
爺さんは笑いながら、「そんな時に居合わせたらお前ももちろん助けるぞ」と、頭を撫でてやっていたという。
数年後、甥が川の淵に嵌った。
同行していた爺さんは、助けを呼ぼうと主張する姪を岸に置いて水に入り、急いで助けに向かったが既に相当老いていた。
甥の元にたどり着いたものの、しがみ付く甥を支えきれず溺死。
甥は他の人たちの手によって救助された。
家族は甥の無事を喜ぶ一方で爺さんの死を悼んだが、甥は別段悲しむ様子もなかったという。
年齢が長けるにつれて、盆の時期にお迎えをするのも甥は嫌がるようになった。
親がそれを叱りつけると、「爺さんは自分の力不足で勝手に死んだんだろ」と、啖呵(たんか)を切る始末だった。
それからは甥抜きでやるようになったが、程なくして甥は死んだ。
学校からの帰りが遅いので捜しに出ると、川原で一人川面に向かって、いかにも愉しげに笑っていたという。
ひっぱたいても全く変わらず、ただケタケタと笑っているだけだったらしい。
入院してからは打って変わって表情を一切失い、食べ物も全く受けつけず、半年ほどで身罷った。
※身罷る(みまかる)
「死ぬ」の謙譲語。
しかしそれから、爺さんのと並べて安置してある甥の位牌が朝になると倒れて畳に転がっていたり、仏間から何かを叩くような物音が頻繁にするようになった。
その為、寺の坊主と相談の上で、仏壇を分けて安置するようになったという。
しかし、何も盆の時期なんだし扉ぐらい開いてやったらいいじゃないかと言うと、親戚は薄っすらと笑って「同じ時期に弟には線香は手向けたくない」と言った。
また盆の時期が来る。
生半可な墓地なんぞよりも、俺はあの家が怖い。
(終)