「ちゃっぴぃ」と呼んでいた人形
これは私や家族が体験した、『動く人形』にまつわる不気味な話です。
我が家は、ラップ音やポルターガイストやらが日常的に起きているような幽霊屋敷でした。(私が中学生の頃にわかったのですが、霊道が通っているらしいのです)
幼い頃から私はそんなに霊感があるというわけでもないのに、二階にある両親の寝ている部屋が恐ろしくてたまりませんでした。
そして、今でも怖いのです。
怖がりすぎた私は毎日泣いていたそうで、もう2階に上がる階段からして怖がっていたようです。
そんな私に甘い祖父は、自分たちが寝ている離れで眠ればいい、と小学生の私に提案しました。
二つ返事で了承して、両親には祖父から言ってもらい、怖い二階の部屋から脱出できました。
安心したそばから、私はわがままが許される場所で、わがままを言いたい放題に。
毛布はこれがいい、タオルはこれじゃないと嫌だ、ここに枕を置いて、とこだわりを見せました。
私は今もそうなのですが、眠る時に枕元にぬいぐるみだったりがないと、なぜか安心して眠れないのです。
ここからはほとんど聞いた話で、私はおぼろげにしか覚えていません。
その人形は『ちゃっぴぃ』と呼んでいました。
顔は赤ちゃんのようで、抱っこをすると目を閉じるようになっている人形でした。
私はそれを昼間は可愛がり、夜になると怖がって遠ざけていました。
理由はわかりません。
祖父に、祖母に、姉に、兄に頼んで、ちゃっぴぃを祖父母の部屋から遠いピアノを置いてある部屋に置いてきてもらってから眠っていたそうです。
ですが、なぜか毎朝、眠っている私の胸の上にちゃっぴぃが居たのを覚えています。
昼間は可愛がる私は、朝も自分の上に居るちゃっぴぃを可愛がっていたそうです。
気味悪がったのは姉と兄でした。
私は姉とは九つ、兄とは七つ違うので、よく遊んでもらっていました。
そんな二人は、ちゃっぴぃを捨てようと母に頼みました。
母はその人形を初めて見た時から気持ちが悪いと苦笑いしていたので了承し、姉と兄は私に「その人形、捨てよう?」と説得してきました。
私はその時のことを覚えていませんが、姉と兄の言う通り、その人形を手放すのに迷いはなかったと思います。
たぶん単純に、姉と兄に構ってもらえる方が嬉しいかったからです。
そうして捨てられた人形。
姉と兄はふざけて、その人形をちゃっぴぃではなく『チャッキー』と呼んでいました。
そのうち私もチャッキーと。
捨てた後、「呪いの人形だから殺しに来るぞー」と、ふざけて笑っていたのは覚えています。
それからずいぶんと経った頃でした。
姉が家の掃除を手伝っていた時に、仏壇近くの戸棚の中に黒いビニール袋を見つけました。
その中身に記憶が無かったので開けてみることに。
その黒いビニール袋を暗い戸棚から出して、明るい部屋で見た途端、姉は悲鳴を上げました。
その悲鳴に驚いて駆け付けた兄も驚きで声を上げそうになり、母は無言でそれを見ていました。
黒いビニール袋の、まるで内側から力づくで押したかのように、ビニール袋は外側に大きく伸びて形を変えていました。
腕と顔の形がはっきりわかるほどに。
まるで意志を持っているかのように右腕をビニール袋に突き立てているのは、すでにその存在を誰もが忘れていた『ちゃっぴぃ』でした。
私が学校から帰って来る前に捨てようと、当時は今ほど庭でゴミを燃やすことに厳しく言われていなかったので、庭でちゃっぴぃは焼かれました。
誰もその人形が自ら動いたところを見たことがありません。
それでも、一つだけ確信して姉と兄が言えるのは、この人形は毎夜ピアノの部屋に自分たちが置いていたし、捨てる際は母と一緒に町の決めたゴミの回収日に出したということ。
それに、私も記憶がほとんど無いのですが、毎夜その人形が途端に怖くなって姉と兄に遠くの部屋に置いてきてもらっていたことと、その人形がなぜか朝になると私のもとに戻って来るということ。
ちなみにその人形、両親も祖父母も買ってあげた記憶が無いそうで。
いつの間にか私が抱っこして、「ちゃっぴぃ」と名前を呼んで可愛がっていたそうです。
両親も祖父母もお互いに、誰が買ってやったのかを特に気に留めていなかったというのです。
そして、私は家で未だに呼ばれているあだ名があります。
それは保育園の頃から、いつの間にか自分で自分をそう呼んでいたことから付いたあだ名。
私は自分を「ちゃっぴぃ」と呼んでいたそうです。
今でも家では「ちゃっぴぃ」と呼ばれています。
そして、人形の名前も「ちゃっぴぃ」だったのに、誰もその違和感には気づいていないのです。
・・・というより、我が家ではかなりこういった現象、つまり霊的な怪現象が多く起きていたので、特に気にも留めていないという感じでした。
(終)