ノック 8/10
その時、ズボンのポケットの中で
携帯が振動した。
電話だ。
誰だろうと思い取り出してみると、
それはKからだった。
少し早めに恥ずかしい土産話を
披露することになるのだろうか。
一人で苦笑いしながら、
僕は外に居るSに「Kから電話」
と伝えて、
玄関の段差に座り、
通話ボタンを押した。
K『よおー。俺だ。
昼に電話くれてたけどよ。
何か用かー?』
どことなく陽気なKの声。
僕「え?K、
まさか今起きたん?」
K『わりーかよ』
確か時刻はもう
五時に近いはずだ。
僕「遅いよ。
何時だと思ってんだよ、
もう夕方になるよ?」
K『うっせーなー。何だよ。
ソッチの要件は何だったんだよ』
う、と言葉に詰まってしまう。
Sの方を見ると、
そっぽを向いて欠伸をしていた。
僕「・・・ノック」
K『はぁ?』
僕「ノックだよノック。
そのノックのせいで、
精神的にもノックアウトしちゃってさ。
もうまいっちゃってさ」
やけくそになって、
僕は床を拳で軽くコンコンコンコンと
叩きながら「あはは」と笑う。
上出来な自虐ギャグだ。
自分でも可笑しかった。
可笑しくて笑う。
床を叩いて笑って、
そして僕は笑うのを止めた。
電話の向こうでKが何か言っている。
でも、何を言っているのか
まるで聞こえない。
床を叩く。
コンコン。
もう一度、違う場所を。
コンコン。
立ち上がって、携帯を切った。
外と室内を繋ぐ四畳半程の部屋には、
カーペットが敷かれている。
最初に入って来た時も見た、
渦まき模様の丸いカーペット。
僕はその端を持ち、
少しめくってみた。
カーペットの下は板の間で、
そこには半畳程の大きさの
正方形の扉があった。
心臓が音を立てて鳴っている。
頭の中を様々な思考が飛び交っているのに、
何も考えることが出来ない。
それは、取っ手の金具を引き出して
上に持ち上げるタイプの扉だった。
この先に何があるのか、
何の扉かも分からない。
手を伸ばして、扉を叩く。
コンコン。
それは僕が今日、今まで聞いてきた
ノックの音と全く同じ音だった。
どうしてだろう。
どうして僕は、『この音』を
聞くことが出来たのだろう。
先程Sが言ったことが正しければ、
僕は僕が聞いたことが無い『この音』を
創り出せたはずがないのだ。
・・・コンコン。
僕は叩いていない。
それは今まで聞いた中で
一番弱々しかったにも関わらず、
一番はっきりと聞こえた
ノックの音だった。
決して脳内で創り出した
音なんかじゃない。
僕の鼓膜は確かに
その微弱な振動を捉えていた。
扉に付いている金具を引き出し、
僕は扉を持ち上げる。
かなり重かったけれど、
ゴリゴリと音を立てて、
扉の下からゆっくりと、
まるで井戸のような黒い洞が
姿を見せた。
据えた匂いと、
ひやりとした空気が、
穴から立ち上る。
背筋がぞくりとして、
全身に鳥肌が立った。
扉を落としそうだったので、
裏側にあったつっかえ棒で固定する。
S「・・・何やってんだ?」
いつの間にかSが、
玄関からまた家の中に
入って来ていた。
僕は返事もしないで、
扉の奥の穴を見つめていた。
S「そいつは・・・、たぶん、
芋つぼだろうな」
僕「芋つぼ・・・?」
S「その名の通りだよ。
芋を保存しとくために、
地下に掘る天然の土蔵だ。
古い民家なんかには
たまにある。
・・・というか、
お前これどうやって
見つけたんだ?」
Sの話を聞くでもなく耳にしながら、
僕は穴の奥から目が離せないでいた。
僕「・・・Sさ、車の中に、
懐中電灯ある?」
少しの沈黙の後、
Sは「あるぞ」と言った。
僕「それさ、取って来てくれない?」
Sは何も言わず
黙って車へと向かった。
しばらくして戻って来たSの手には、
二本の懐中電灯が握られていた。
玄関先から、その内の一本を
僕に投げてよこす。
僕「ありがと」
ちゃんと光がつくかどうか確かめて、
僕は再び穴に向き合った。
そっと光の筋を穴の奥に這わす。
思ったより穴は深いようだった。
三メートルほどだろうか。
木の梯子が掛かっていて、
下まで降りたところで
横穴がまだ奥に続いているらしい。
横穴の様子は、
ここからでは窺えない。
何故か迷うことは無かった。
僕は穴の中に入ろうと、
扉の縁に手をかけた。
S「おい」
Sの声。
僕は顔を上げる。
S「数年間放置されてたんだ。
梯子が腐ってることもある。
気をつけろよ」
僕「・・・OK」
梯子に足をかける。
最初の一歩を一番慎重に。
腐っている様子は無い。
二歩、三歩と、
僕は芋つぼの底に降りてゆく。
頭まで完全に穴の中に入ったところで
足元が見えなくなり、
あとは完全に感覚で梯子を下った。
しばらくすると、
足の裏が地面の感触を掴む。
芋つぼの中はかなり寒かった。
湿気なども無さそうで、
なるほど、と思う。
食料を保存しておくには
適した場所だろう。
スイッチを入れっぱなしにしていたライトを
ポケットの中から出す。
そうして僕は、ライトの光を
そっと横穴に向けた。
あの時の光景を、
僕は一生忘れない。
暗闇の中、
足元からすぐ先に、
一枚の茶色く変色した
布団が敷かれている。
その上で一組の親子が、
互いに寄り添う様にして
静かに眠っていた。
掛け布団の中から
二つの頭だけが出ている。
きっとあの見えない部分では、
母親がわが子を抱きしめているのだろう。
僕はライトの光を向けたまま
茫然と立ち尽くしていた。
それ以上、一歩も前に
進むことが出来なかった。
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