怪物 「転」 2/5

玄関

 

先輩が小学校4年生くらいの頃、

 

家の中でおかしなことが

立て続いて起こったそうだ。

 

例えば、

 

食器が棚から勝手に飛び出し

地面に落ちて割れたり、

 

窓のカーテンが風もないのに

まくれ上がったり、

 

部屋のどこからともなく、

 

何かが弾けるような音が

断続的に響いたり、

 

ある時など、

 

家族の目の前で花瓶に挿していた花が

フワフワと宙に浮き始め、

 

いきなり凄い勢いで天井に

叩きつけられたこともあったらしい。

 

それが数日おきに何週間も続き、

ある時パタリと止んだかと思うと、

 

またしばらくして急に起こり始める。

 

困惑した両親は、

ついに有名な祈祷師を紹介してもらい、

 

家の御祓いをしてもらった。

 

その後、

物が動いたりといったことはなくなり、

 

何かが弾けるような物音や、

 

屋根裏を誰かが這っているような音は

時々あったそうだが、

 

やがてそれも起こらなくなった。

 

今お邪魔しているこの家でのことだ。

 

思わず部屋の天井の辺りを見上げたが、

特になにも感じる所はなかった。

 

「聞きたいのは、

石が降ってきたことがあったかどうかです」

 

「石?家の中に?」

 

「家の外でもいいですけど」

 

先輩は記憶を辿るような

視線の動きを見せた後、

 

「なかったと思う」

 

と言った。

 

「じゃあ、

石じゃなくてもいいですけど、

 

家の中になかったはずのものが、

どこからともなく現われたりしたことは?」

 

「・・・お皿とか果物とか、

色々飛んだり落ちたりしてたけど、

 

全部家にあったものだからなあ。

 

ないモノが出てくるって、

なんか凄いね。

 

サイババみたい」

 

先輩は面白がって、

最近テレビで見たという、

 

サティア・サイ・ババのアポート

(物品引き寄せ)について喋りだす。

 

「こんなしてさ、

 

手の平ぐるぐる振ってから、

出しちゃうのよ」

 

テーブルの上にあった鋏を手に持って、

その様子を実演してみせてくれる。

 

私は少しがっかりした。

 

「そんなにポルターガイストとかに

興味あるの?

 

あたしも最近は全然だけど、

 

昔に気になって色々調べたから、

そっち系の本があるよ。

 

読みたいなら貸すけど」

 

「是非」と言うと、

 

先輩は「ちょい待ち」と、

部屋の本棚をゴソゴソと探し回って、

 

何冊かの本を出してきてくれた。

 

いずれもオカルト系の雑誌の類だ。

 

それぞれポルターガイスト現象に

関する所に付箋がついている。

 

礼を言って、

おいとまをしようとした時、

 

先輩が私の顔をまじまじと見つめてきた。

 

「あなた、ちょっと変わったね」

 

先輩こそ、剣道部で後輩を

しごいていた頃からしたら、

 

随分と肉がついてしまってるじゃないですか。

 

そんなことを婉曲に言ってみたが、

 

※婉曲(えんきょく)

言いまわしが穏やかでかど立たないさま。露骨でなく、遠まわしに言うさま。

 

先輩は自分のことは

まったく耳に入らない様子で、

 

ブツブツと口の中で呟いている。

 

「変わったというか、

変わっている途中、みたいな」

 

その瞬間、

 

背筋に誰かの視線を感じた気がして

振り返りそうになる。

 

「あ、ごめん。気にした?

まあ、また今度ゆっくり話そ」

 

なんだろう。今の感じ。

 

その嫌悪感を私は“知っている”。

 

そんな気がした。

 

玄関を出て、

家の前で見送ってくれる先輩に、

 

最後に一言だけ問いかける。

 

「最近、怖い夢を見ませんでしたか」

 

先輩は顔を強張らせたかと思うと、

柔和な笑みでそれをすぐに包み隠す。

 

「そう言えば今朝がた見たけど。

変な夢だったな。ありえない夢」

 

オヤスミ、と手を振って、

先輩は家の中へ消えていった。

 

誰もいない、たった一人の家に。

 

私は自転車に乗っかると、

全速力で漕ぎ出した。

 

家に帰り着くのが遅くなるにつれて、

母親の小言の量が比例して増えるのだ。

 

星を空に見ながら、

夜の道を急いだ。

 

「ポルターガイスト現象の事例として

名高いのは、

 

1848年、

ニューヨーク州ハイズビルの、

 

フォックス家を襲った怪現象が

その筆頭として挙げられる。

 

また近年では1967年、

 

ドイツのローゼンハイムにある、

アダム弁護士事務所で起きた事件や、

 

1977年以降、

ロンドン北部エンフィールドの、

 

ハーパー家で起きた怪異も

広く知られている」

 

そんな説明を読みながら、ふと、

 

学校の教科書もこのくらい熱心に見ていたら、

もっと成績も上がるだろうに思い、

 

自虐的な笑いが込み上げて来る。

 

もう時計は夜の12時を回っている。

 

先輩から借りた本を

さっそく読んでみたのだが、

 

かなりの分量がある。

 

明日も学校があるし、

 

適当なところで切り上げて

早く寝た方がいいと分かっているのだが、

 

何故か気が逸って手を止められない。

 

ハイズビル事件では、

 

フォックス家の次女マーガレット(15)と

三女ケイト(12)の周辺で、

 

壁や天井を叩くような

奇妙な物音が聞こえ始め、

 

その物音とある合図によって

交信を図ることで、

 

霊とのコミュニケーションを取ることに

成功したと言われている。

 

ローゼンハイム事件では、

 

電話機の異常から始まり、

蛍光灯の落下や電球の破裂、

 

金庫やオーク材のキャビネットが

独りでに動くなどの、

 

怪現象が起こった。

 

エンフィールド事件では、

 

娘のジャネット(11)が部屋で聞いた

『何かを引きずる音』に端を発し、

 

おはじきや積み木が空中を飛んだり、

タンスが独りでに数十センチも動いたり、

 

ジャネットが寝ようとすると、

 

ベッドからトランポリンのように

投げ出されるといった、

 

不可思議な出来事が1年あまりも続き、

 

その間に近所の住民やマスコミ、

ソーシャルワーカー、

 

イギリス心霊現象研究協会のメンバーなど、

 

延べ30人以上の人間が、

これらを目撃したと言われている。

 

その他の様々な事例の紹介を見ていくと、

本の総論として解説されるまでもなく、

 

かなりの割合でその現象の

焦点になっているのが、

 

ティーンエイジャーの若者、

それも女性であることに気づく。

 

ローゼンハイム事件では、

 

弁護士事務所の秘書

アンネマリー・シュナイダーが、

 

現象の中心にいたとされているが、

彼女は当時まだ18歳であり、

 

怪現象は彼女が出勤している時にばかり

起こっていることを、

 

超心理学研究所のハンス・ベンダー教授に

指摘されている。

 

その後、

 

アンネマリーが解雇されると、

怪現象はピタリと収まった。

 

ポルターガイスト現象とはその名の通り、

 

ポルター(騒がしい)・ガイスト(霊)の

起こす現象とされることが多かったが、

 

近年では様々な解釈がなされている。

 

低周波や水撃音などで

科学的に説明しようとするものや、

 

売名目的のでっちあげとする説、

 

また超心理学者などは、

これを超常現象の一種であると位置づけている。

 

その超常現象説では、

 

現象の焦点になっているのが

若年者であることに注目し、

 

精神的に不安定である思春期前後の彼女らが、

抑圧されたフラストレーションの捌け口として、

 

無意識的にサイコキネシス現象を

発動しているのではないかとした。

 

超心理学者たちはこの現象を、

RSPK(反復性偶発性念力)と呼ぶ。

 

無意識に起こるPKなので、

 

※PK(psychokinesis)

サイコキネシス。科学的に証明されていない超能力の一種。

 

その当事者も基本的には自らを

被害者であると認識している。

 

エンフィールド事件では、

焦点となったジャネット自身、

 

ベッドから跳ね飛ばされて寝れない

という被害を受けている。

 

その瞬間を捉えたという写真が

本に掲載されていたが、

 

なんともコメントしづらい写真だ。

 

エンフィールド事件

(ジャネット/エンフィールド事件)

 

宙には浮いているのだが、

自分で跳んでいるようにも見える。

 

「RSPKか」

 

ボソリと口にすると、

なんだか面映い。

 

※面映い(おもはゆい)

てれくさい。

 

そんな変な言葉で説明するより、

 

もっと単純な解釈があるように

思えてならない。

 

思春期の子どもがいる家で

起こった現象なら、

 

真っ先にイタズラじゃないかと

疑うべきだろう。

 

実際、ハイズビル事件では、

フォックス姉妹が後に、

 

あれは関節を鳴らすなどした

自分たちのトリックだった、

 

と告白しているらしい。

 

一つの事例がトリックだったからといって、

 

すべての事例がトリックだと

断言するのは乱暴だが、

 

疑われて然るべきだろう。

 

(続く)怪物 「転」 3/5

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