怪物 「転」 5/5
ふぅ、と息をついてペンを置く。
昨日、
ポルターガイスト現象についての
本を読みながら、
私は考えていた。
もし仮に、
街中で起きた怪現象が、
それぞれ個別の現象でないとしたら。
もし仮に、
この怪現象の焦点となっているのが、
たった一人の人間だとしたら。
もし仮に、
通常、閉鎖的な家屋の中でしか影響を
及ぼさないはずのポルターガイスト現象が、
壁を越えて屋外までその力を
及ぼしているのだとしたら。
そしてもし仮に、
ポルターガイスト現象の正体が、
RSPK、反復性偶発性念力による
無意識の自己顕示性と暴力性の
発露だとしたならば・・・
※発露(はつろ)
心の中の事柄が表にあらわれ出ること。
とんでもない力だ。
そら恐ろしくなるような。
市内全域のほぼ半分をその影響下に
置いてしまっているなんて。
寒気が頭の芯にまで這い上がってくる。
『エキドナを探せ』
間崎京子の声が脳裏を掠める。
怪現象を怪物になぞらえたあの女は、
非常階段で話をした昨日のあの時点で、
今の私と同じ推論に達していたのだろうか。
『まさかあいつが』
と思ったが、
住所録に載っている間崎京子の住所は
市内の外れにあり、
オレンジの円の外側に位置している。
違うな。
あいつは違う。
なにより、『怖い夢』との
整合性が取れない。
恐らく、想像に想像を、
いや妄想を重ねているが、
『怖い夢』を見ている主体こそが
エキドナなのだろう。
彼女が見ている夢が、
目に見えない霧のように
夜の街に漏れ出て、
それを眠っている私たちの
脳のどこかがキャッチする。
そして、
まるで自分のことのように悪夢として
それが再生される。
その漏れ出る夢が急に強くなり、
影響する半径を広げている。
そのタイミングは、
怪現象が街に噴出し始めたのと
ほぼ同じだ。
私は地図に目を落とし、
赤、青、緑の順に外へ広がっていく
点を見つめる。
夜毎に蓄積されていく、
身に覚えのない母親への憎悪。
そしてその悪意が殺意に変わった時、
一体なにが起こるのか。
母親の首筋から吹き出す鮮血の記憶。
危険だ。
以前から漠然と感じていた不安などより
はるかに。
そして多分、
エキドナは小さな子どもだ。
ドアのチェーンを外すために
背伸びをしているから。
彼女はなんらかの理由で母親を憎み、
その状況を打破できないでいる。
そのストレスがポルターガイスト現象の
原因となっている。
彼女?
そこまで考えて、
ふと引っ掛かるものを感じた。
自然と浮かんだ三人称だったが、
これはギリシャ神話に出てくる怪物エキドナが
女だったからだろうか。
いや、
私は“なった”から分かるんだと思う。
夢の中で、
暗い部屋に一人で母親を待っている子どもは
女の子だ。
その子は今もそこにいるのかも知れない。
『見つけたい』
そう思った。
見つけたとしても、
救えるとは思わない。
私もただの高校1年生にすぎないのだから。
『でも見つけたい』
イタズラにせよ、
RSPKにせよ、
ポルターガイスト現象の焦点になっている
ティーンエイジャーたちの心の叫びは、
たぶん一つだ。
『ぼくを見て』
『わたしに気づいて』
そんな、声にならない声が
世界には満ちている。
急に悲しい気持ちが胸に溢れてきて、
思わず席を立った。
教室では昼のお弁当を食べ終わった
クラスメートたちが、
それぞれの群れを作って
おしゃべりに興じている。
誰も私を見ていない。
群れを避けるように、
一人でトイレに向かう。
分かっている。
クラスメートたちとの間に
壁を作っているのは私自身だ。
でも誰もその内側に入れたくない。
一人でいる限り、
誰にも裏切られない。
廊下を歩く上履きの音。
後ろからついて来ている、
もう一つの音に振り返る。
「高野さん」
高野志穂はその呼び掛けに、
ビクリとして立ち止まった。
同じような光景を、
最近見た気がする。
軽いデジャヴ。
「なにか用?」
つっけんどんな口調で問うと、
※つっけんどん
態度や言葉がとげとげしていて不親切なさま。
彼女は「いや、あ、別に」と言って
口ごもってしまう。
それでも顔をスッと上げたかと思うと、
「最近、少しおかしいよね」
と言った。
おかしいとも。
クラスの連中のように噂話がしたいんなら
他を当たってくれ。
そんな意味の言葉を口にすると、
彼女は手のひらをこちらに向けて
振りながら言う。
「あ、そうじゃなくて。
山中さんが。
なんていうか、いつもはもっと、
周りに興味がないっていうか。
昨日もだけど。
今日も他の子に話し掛けてたし」
イラッとした。
そんなこと、
こいつになんの関係があるんだ。
私の表情に苛立ちを読み取ったのか、
高野志穂は「ゴメン」と頭を下げ、
それでも意を決したような顔で続けた。
「山中さん、
なにか背負い込んでるように見えるから。
もし手伝えることがあったら、
手伝うよ」
そう言ったあと、
彼女はもう一度「ゴメン」と頭を下げて、
踵を返そうとした。
その瞬間、
デジャヴの正体が急に分かった。
あの時も、
高野志穂は廊下で私に話し掛けてきた。
そして、
『私も見たよ。怖い夢。
・・・山中さん、
ちょっと占ってくれないかな』
と言った。
あれはいつだった?
クラスメートが『思い出せない怖い夢』
について話しているのを、
初めて聞いた時だ。
水曜日?
いや、
水曜日は学校を抜け出して
石の雨の現場を見た日だ。
ということはその前。
火曜日だ。
私の中で微かに感じていた引っ掛かりが
急に膨らんでいく。
高野志穂は占って欲しいと私に頼んだ。
何を?
当然、夢のことだ。
そして、その時点で彼女は、
私にトランプだかタロットだかで
占ってもらうだけの“材料”を
持っていたことになる。
「高野さん、
お母さんを殺す夢を見た?」
高野志穂は驚いた顔をしたあと、
コクリと頷く。
「火曜日の朝が初めて?」
彼女は少し首を捻り、
思い出す素振りをしたあとで
口を開いた。
「月曜日」
それを聞いた瞬間、
私は唾を飲んだ。
みんなより、
そして私より3日も早い。
私が初めて夢を覚えていたのが
木曜日の朝なのだから。
「来て」
と言って私は彼女の手を取り、
教室に引き返した。
彼女は「え?え?」と戸惑いながらも
付いて来る。
教室の中に入り、
私の机の中から市内の地図を取り出して、
広げる。
「あなたの家はどの辺?」
やけにカラフルになった地図を前にして、
高野志穂は少し躊躇する様子を見せたが、
私の顔を伺ってから、
人差し指をそっと下ろす。
オレンジの点で出来た歪な円の、
ほぼ中心を指している。
円は怪現象の目撃ポイントで
構成されているけれど、
サンプルが少なすぎるために
正確な円を作れていなかった。
所詮、クラスメートの噂話だけで
集めた情報なのだ。
たまたま知らなかっただけの怪現象が、
もし円周の外側の付近にあったとすると、
それだけで円の形が変わり、
その中心がズレてしまう。
中心にこそエキドナがいるはずなのに。
だがこれで、
その中心の位置がほぼ判明した。
高野志穂の月曜日というのは“早すぎる”。
だから彼女は中心から極めて近い
地域に住んでいる。
間違いない。
大雑把に引いた円周の線からも、
ほとんど矛盾がない。
そこにあるのは、
急激に『怖い夢』と怪現象が
影響を拡大していく前の、
小さな円だ。
スッと彼女の指先の下に
ボールペンで丸をつけた。
エキドナはそこにいる。
怪物たちの小さなマリアが。
今も暗い部屋にうずくまって。
私は微笑みを浮かべようとして、
それに少し失敗して、
それでもなんとか笑って言葉を乗せた。
「助かった。・・・ありがとう」
高野志穂はよく分からないまま
礼を言われたことに、
不思議な顔をしながらも
嬉しそうに「うん」と言った。
(終)
次の話・・・「怪物 「結」-上巻 1/5」